2010年2月3日水曜日

アムステルダムでの出来事



帰り際、浮ついた気持ちが一気に地へと落ちた。突然、一緒に肩を並べて歩いていた旅の連れ合いが胸ぐらをつかまれ、暗闇に引き込まれていった。彼らが黒人だったせいか、街灯の明かりが届かない路地裏だったせいか、二人組みのその姿にはまったく気付いていなかった。
「お前はそこから動くんじゃない」
背の低い、いかにも弟分の方が、僕の担当のようで、すごんできた。僕は、恐る恐る、目を凝らして連れの様子を見ると、連れ自身のほうからも黒人の胸ぐらを掴み返している。
「なかなか、やるなぁ」なんて、思いながら、僕は彼を助けるために一歩踏み出そうとした。

 ネパールのカトマンズには、長旅を続ける旅人が数多くいる。彼らの多くは沈没系だ。(それが良い悪いは別として、同じ地域にじっくりと留まる旅のスタイルで、そしてそれは怠惰による場合が多いように思う) 暇なのか、ただ単純に、日本語が恋しいのか、彼らの多くは、色んな旅の逸話を語る。僕が出会った、一人の男も、その夜、僕に、忠告した。「いいか、よく聞けよ。これからユーラシア大陸を西へ向かうのだったら、アムステルダムの飾り窓周辺には気をつけたほうがいいぜ。同じ宿にいた、日本人大学生3人組が、夜中の3時に飾り窓へ意気揚々と出て行った。だけれど、戻ってきたのは2人だった。俺は助けを求められて、宿のみんなで、その大学生を探したが、結局その日は見つからなかった。数日後、彼は、アムステルダム郊外で、身包み剥がされた状態で、保護されたよ」

 そんな忠告も、“コーヒーショップ”での一服で、気分が浮かれている僕はまったく忘れていた。不運にも、僕らは飾り窓周辺で、人気のまったくない路地裏の中の路地裏へ足を踏み入れてしまっていたのだ。
僕は友人を助けようと、歩み寄ろうとした。するとすかさず、弟分が「動くな」とつぶやく。それでも、振り切って近づこうとすると、連れが、黒人を押し始めた。すると、どんどん黒人は後ろへ下がっていく。おいおい、見掛け倒しかよ、と思いながら、僕も弟分の気持ちばかりの僕へのタッチを振り払ってみた。すると、あまりにもあっけなく彼の手をはじくことが出来た。
あれ?おかしいぞ。連れと僕は、目をあわせた。意見は一致したようだった。お互い、相手を、あっけないほど、簡単に振りほどき、何事もなかったかのように、歩き始めることにしたのだ。すると、彼らは振りほどかれたのに、ビックリした様子で、動きがとまってしまった。
黒人2人は、おそらく、ヤク中かなんかなのだろう。彼らのような人間は、意思がすごく弱く状況に流されやすい。
連れと僕は、「ザコだったね。筋肉もたいしてついてないし、ナイフを見立てて、ポケットから、棒状のものを突きつけてきたと思ったら、指だったし、ほんとなんちゃってだよな、がははは」
なんていう会話を交わしながら、宿への岐路に着いた。
その途中で、ピザスタンドによって、ピザをテイクアウトした。2人とも、受け取ったピザは、ぶるぶる震えて、うまく食べられなかった。心を落ち着けようと、連れはタバコを吸おうとポケットに手を入れると、タバコは盗られていた。「僕と連れは、目を合わせて、彼らはタバコがほしかっただけなんだな、がはは」と笑った。お互い震えに関しては、触れなかった。

 見栄は、次の日で終わった。普通に昼間町\繁華街を歩いているときに、黒人が、悪ふざけで、「わぁ!」と驚かせようとしてきた。その言葉に反応して、僕らは2人とも驚いて、「うぁー!!」って言いながら猛ダッシュで逃げた。振り向くとその黒人は笑っていた。悪ふざけをしただけなのだ。
「ってかさ、正直びびるに決まってんじゃんなぁ」と、僕ら2人は目を合わせて頷いた。若さにつきまとう見栄は、時として、重大な行動の選択をかえてしまう、パワーがある、と感じた日だった。