2010年10月29日金曜日

インドの食堂での“痛み分け”の話

◇インド東南部にある町マハーバリプラムの食堂で

あきらかに、2人の顔は瓜二つであった。

だから、インド訛りを意識した英語でつぶやいてみた。とびっきり舌を巻いた「R」を使って「ゆーあーるぶろざー」と。
彼ら3人にはまったく通じなかった。僕の“インド訛り英語”が下手なのだろうか。もう一度、「ゆーあーるぅぅぶるぅざー」
ポカーンとしている彼らインド人3人組。

インド人はいつだってそうさ…。


◇チャーイとビスケットと

前日のこと。
僕はチェンナイからここマハーバリプラムにくる列車に乗り込んだ。インドの列車にしては珍しく、空き空きの車内。悠々と席に座ることができた。
ぼりぼりと美味しくない朝食代わりのビスケット(袋に小さな穴があいていて蟻がたかっていることがよくあったけどこの時はいなかった)をほおばっていた。「チャーイ、チャーイ、チャーイ、チャーイ」と念仏のように呟きながら、チャイ売りのおじさんがやってくる。その「チャーイ」という言葉の響きは、インドではみな一様に少し鼻声で独特に響く。
実は、彼らはみなお茶の産地で有名なダージリンでチャイ売りの講習を受けるそうで、その講習には毎回1万人以上の受講者であふれかえるという話など聞いたことはない。

さて、やかんに入ったチャイを2ルピー(6円)で買う。さして美味しくもないビスケットをこのチャイにつけると、ふんぞり返るほどとは言えないまでも、蟻がたかっていたのでも食べていいかな、と思えるほどには美味しくなる。というくらい、このチャイは美味しい。


◇シーク教のおっさんに見下される

マハーバリプラムに向けて列車は走り出す。しばらくすると隣に座る恰幅の良いシーク教のおっさんに話しかけられる。「ユープローム?」「ジャパーン、イェー!!」
シーク教徒は頭にターバンを巻いているのですごくわかりやすい。インド全人口のおよそ2%しかいないにも拘らず、シーク教徒が目立つのはターバンのせいでもあるが、ビジネス界や政界で活躍する人が多いからでもある。そういったわけで、高等教育を受けている率が高いシーク教徒には、英語が得意なヤツが多い。前置きが長くなったが、彼もその内の一人。英語が出来るようだ。
でも、大半のインド人の英語が訛っていてすごーくわかりづらいように、彼の英語もその例外ではなかった。
全然聞き取れず、逆に僕の英語も全然聞き取ってくれない。しまいには「君は経済大国日本に生まれたのに英語もできないなんて」とダメのレッテルを貼られてしまう。いやいやいやいや。


◇ミールスはとっても美味しい!

場所は、マハーバリプラムの食堂に戻る。
南インド料理の定番ミールスは、バナナの葉っぱに数種類のおかずとライスが並べられた定食で、ぐちゃぐちゃと右手でかき混ぜながら食べる。
僕もインドに来てからはちゃんと右手でご飯を食べ左手でケツをふいているので、当然のように右手がぐちゃぐちゃ。そこで、飲み水だけど飲まない水の入ったステンレス製のコップに手を突っ込んで簡単にすすいだ。
そして僕は、おもむろに立ち上がり、彼ら3人の前に立つ。
まだカレーのついた手で兄弟だと思われる2人の肩に手を置き「ユー、ユー、ブラザー!!」と言った。僕の手は彼らの肩のおかげで完全に綺麗になった。
それでも通じなかった。そうしてようやく気づいた。彼らは英語がわからないのだ。

僕は、列車での件もあって勝手に彼らが「英語」で僕を見下しているのだと妄想し、彼ら3人に対して憤慨してしまったわけなのだけれど、訳の分からない彼らは、立ち尽くすばかり。
(やってしまった…)
肩で手まで拭かせてもらい、いまさら後に引けず、僕はどうしたものかと考えた。まあ普通に考えて、ジェスチャーしかないということで、君と君の顔が似ているから、家族だろう?というようなニュアンスでめいっぱい体で表現した。


◇けっきょく…痛み分けか


伝わった。
笑顔で、首をかしげてくれた。インドでは首をかしげる=YESだ。兄弟は肩を組み合って、どうだい僕ら似ているだろう?と言ってくる(気がする)。
あー通じて良かったと思いながら自分の席に戻って、また食事を再開。
すると突然、彼らに呼ばれた。一緒にメシ食おうと言ってくる。いいよ、と同じテーブルに移動して、クチャクチャと一緒にメシを食べた。食べ終わると、店員を呼んでおかわりをお願いしてくれた。(ミールスは基本おかわり自由)
お腹いっぱいで、もういいよーという感じになってくると彼らも察したのか、そいじゃお会計をってことなった。するとおごってやると言う(気がする)。お断りをする間もなく、会計を済ませてくれた。
笑顔でお礼を言って、3人とありがとうのハグをした際に、また手を綺麗に拭かせてもらった。なんて彼らは優しいのだろう。
そう思いながら宿に帰りシャワーを浴びようと服を脱ぐ。

服の背中のところがカレーまみれだった。

2010年10月1日金曜日

ポカラの思い出〜シキ君への手紙にかえて〜

◎“長期旅行者の再会”なんてよくあることだけれど

シキ君と初めて会ったのは、ラオスのバンビエンでした。大木(4mくらい?)からの飛び込みでビビったり、洞窟探検で蚊に刺されまくったりしました。
最初の再会は、インドのコルカタにあるパラゴンゲストハウス。シキ君が大はしゃぎで韓国人の女の子とカードゲームをしてたのを覚えています。あの牢獄のような部屋の前で。
3度目に会ったのは、ネパールのカトマンドゥ。世界第2位(160m)のバンジージャンプは、残念ながら行けませんでした。一緒に行くツアーの最低敢行人数を確保できなかったのは、僕らの人間的魅力が足りなかったせいでしょう。
4度目がヨルダンのアンマンで、お互い女の子にうつつを抜かしていました。
最後がイスラエルのエルサレムだと記憶しています。シキ君の下手くそすぎるギター(インドで買ったやつ)の音色に、不覚にも涙がとまりませんでした。

僕の中で、一番印象深いのはネパールのカトマンドゥの後に行ったポカラでの出来事です。そこでは「3つ」の思い出があります。前置きが長くなりましたが、今回はそのお話をします。
◎ポカラでのニワトリパーティーのこと

「ウコ〜コケッコ〜!!」という鶏の悲痛な叫びは、「バスンッ」「キャー!!」という音とともに鳴り止むみ、首からピューっと血が噴き出す。
が、なかなかに切れ味の悪い包丁で切ったため、頭部と動体は首の皮一枚で繋がっている。再度、僕は鶏の首をめがけて包丁を振りかざす。鶏は目をカッと見開いたまま、絶命していた。

新鮮な鶏肉でバーベキューをしようと、僕とシキ君はバイクにまたがってポカラから約1時間かけて、山奥の村に生きた鶏を買い付けに行った。
確か、150ルピーを120ルピーに値切って買った。
次の日、僕とシキ君は、どちらが鶏をしめるかジャンケンをした。結果、僕が負けた。けれど正直に言えば、僕はジャンケンをしなくてもこの貴重な体験をしたいと思っていた。だから、負けて嬉しかったのを覚えている。
実際に、首を切り飛び散った鶏の血が僕の顔に付くと、僕は身震いした。あの時の、鶏の痙攣は今でも目に焼き付いている。僕は目を離せなかった。
そのあと素手で羽をむしりとって捌いた新鮮な鶏肉は、ワイルドな味がした。
◎誕生日に起きた窃盗事件の顛末

「ドンドン、ドンドン」
僕とシキ君が泊まる部屋に、突然窓を叩く音が鳴り響く。僕は「ワーワーワーワー!!」とターザンがジャングルで叫ぶかのごとく、大声を出した。

カトマンドゥにいた時やポカラに着いてからも、「いま、ポカラでは夜中の窃盗が流行っている」という噂を何度も聞いた。
実際に被害に遭いそうになった可愛らしい日本人の女の子は、僕らにこう話した。「危険を察知(部屋のまわりを数人の男性に囲まれたらしい)し、部屋の電気を全てつけ、自分が部屋に一人だと悟られないために、動きまわったり声を張り上げて切抜けた」

この話を聞いていた僕は、隣のベッドにシキ君という心強い巨漢がいるのを忘れ、一人声を出し続けた。体はこわばって、少しも動かなかったので、電気をつけることはできなかった。
泣きそうになりながら、「ワーワー」と30秒も声を出していると、良い意味で単細胞の眠りが深いシキ君もさすがに何事かと起き上がった。
「なにしてるんすかユウジロさん」
「シキ君、強盗だよ! 強盗! はやく声を張り上げて!」
「え、何言ってるんすか。あ、オンナだ」
シキ君が、指差した窓の向こうには、見覚えのある女の子の姿が。その日、僕が話しかけた香港の女の子(オンナという名前の女の子)だった。実は、彼女とは1カ月前にコルカタで同じ宿だったこともあり、仲良くなったのだ。その日は僕の誕生日だったので、シキ君も一緒に3人でメシを食べた。

オンナは僕に左手を出せといってきた。
僕は涙目を拭いながら、左手を差し出すと、ミサンガをつけてくれた。
「誕生日と聞いて作ってみたの。今夜中に間に合ってよかったわ」
「ご、ごめんなさい。強盗かと思って騒いじゃいました。ありがとう」
シキ君は、(こいつあいかわらず、小心者やな)という目で僕を見ていた。「部屋の片隅にある、シキ君が買ってきたドリアンが臭かったせいで悪夢を見た」という言い訳をしたかったけど、既にラオスでの飛び込みでビビりまくる姿を見られていたので、やめておいた。
◎ペワ湖での釣り「結局、釣れないほうが良かったのだ」

朝6時に起きて、ペワ湖で釣りをしたときのこと。
僕は「釣り」には自信があったので、シキ君に良いところ見せてやろうと釣りに誘った。ボートを漕ぎ出し、前日に借りておいた釣り竿でルアーを投げる。しかし、釣れる気配がまったくなかった。ボートを漕ぐのも疲れてきたので、お昼になる前に、切り上げようということになったその時! シキ君の竿にアタリが! そして、40㎝程のコイみたいな魚を見事釣り上げた。
シキ君はしたり顔で、僕に顔を向けた。「ちくしょう、素人丸出しのギコチナイ動きのくせに…」と思ったけど言わなかった。
その魚を近くの中華料理屋に持っていくと、四川風に調理してもらえたので、2人で平らげた。

その魚を食った翌日、僕とシキ君はインドのバラナシ向けて、バスに乗り込んだ。僕はその道中で急に体調を崩し、高熱を出し、バラナシの宿で3日間動けなかった。
シキ君はと言えば、魚を食ったその日から「卵ゲップ病」という病にかかった。寄生虫が胃に入り込み、下痢とゲップがとまらない病気である。一週間以上も腐った卵の匂いのするゲップをしていた(インド人にさえ臭いと言われていた)から、現地の薬局で薬を処方してもらい、それを飲むと「ウンコと一緒に蛇みたいな変な生き物が出てきた」とは言っていなかったけれど、一発で治ったようだった。
僕は「お前が変な魚を釣るからこうなったんだ」と思ったけど言わなかった。