2011年9月12日月曜日

ルアンパバーン行きのスロウボート 前半


●日本人のよりは気持ちよい、か!?

バンコクで出会ったオージーは、おせっかいな奴だった。
やれ「タイ北部、ミャンマーとの国境付近の山間部は本当に美しいから、見るべきだネ」だの、「東南アジアは時計回りでいくべきだネ」だの、「メコン川のスローボートはやっぱり外せないネ」と能弁を垂れてくる。うっさいつーの。
しまいには、「僕の泊まってる宿にくれば? 安くていいトコだヨ」と誘ってくる。ぼ、ぼくとヤリたいのか!?
僕は、白人のでっかくてふにゃふにゃのちんこを想像した。ジャパニ(日本人)の小さくて固いそれのほうが痛いような気がする。よし、君の宿とやらを見せてもらおう。僕は彼の後をついていくことにした。
なんだか、彼の歩き方がぎこちない。も、もしや、もう勃起しているのか!? なんだか照れるじゃないか! 
宿に到着するや否や、オージーは「ここで待ってろ」という。ははん、部屋を綺麗にしてくるんだな。
「OK! とりあえず、チェックインしちゃうよ」
一泊80バーツの割に汚くないその宿に泊まることにした。フロントの女の子がとても可愛いのだ。宿で飼っているらしい猫が、客のバックパックや椅子に座ると大きな声で叱るのだが、その姿がまさに天真爛漫といった様子で微笑ましい。ベッドシーツの洗濯や接客などを1人でこなす彼女を見ていると、バンコクという大都市の全てが素晴らしいように感じてくる。単純なものだ。
オージーは部屋から70ℓのどでかいバックパックと白黒のタイ地図を持ってきて、事細かにタイの説明をしてくれた。
そして、「残念だけど、僕はもう母国に帰らないと行けないんだ。君との夜はお預けだね」と意味深げなセリフを言い残し、彼は宿を出ていってしまった。

●大沢くんもびっくりの新事実発覚!!

というわけで、僕はその後、タイ北部の山間部を訪れ、東南アジアを時計回りに周遊し、メコン川のスローボートに乗った。
つまり、彼の言いなりとなったのだ。あるいは、僕は彼と過ごせなかった甘美な夜の時間を、埋め合わせたかったのかもしれないな…なんてことは一切思っていない。単純にガイドブックを持っていなかったので、彼の助言に従うほかなかったのである。

このスローボートというのは、タイとラオスの国境の街フエイサイという町から世界遺産の街ルアンパバーンへいくというものだ。東南アジア周遊の定番らしく、スローボートは80人ほどの白人バックパッカーで溢れていた。日本人は8人くらいだった。
このボートはスローというだけあって、ほんとうにゆっくり進む。僕が日本から持ってきていた世界地図(東京と横浜が隣の村のように見える代物)で見ても、あぁ、けっこう離れているんだね、とわかる。

「日本人旅行者は群れる」という話をよく聞くが、スローボートの中では、色んな国が群れていた。船首のほうでは、誰が持ち込んだのか、ラジカセで爆音を流す大英帝国の若者どもがはしゃいでいた。ドイツの若者は、船の中央を陣取り、みな神妙な面持ちで、ドフトエフスキーだとかハルキムラカミを読んでいた。やれやれ。
僕は荷物置き場にスペースがあることを見つけ、ひとりで得意げに寝転がっていた。気分は都会から田舎へ引越し、他の生徒を達観する、『天然コケッコー』の大沢くんだ! さくっと寝て起きれば着いているだろうという魂胆。窮屈な椅子に座る奴らを小馬鹿にしたような態度で寝そべっていた。が、そううまくもいかなかった。

 まず38歳のマサさん(日本人)というひとに見つかってしまう。彼はおせっかいにも、他の日本人を3名ほども引き連れてきた。マサさんは、おもむろにマリファナを吸い始める。彼はおせっかいにも、他の日本人3名にも配り、みんなで“お楽しみの時間”が始まってしまった。これではおちおち眠ってなんかいられない…。
「ユウジロ君もどうだい?」お声がかかった。ほら見たことか! 僕は事の次第を説明した。
「マサさん、いやね、実は僕は退屈だから寝ることにしたんです。軽く寝て起きたら着くでしょうから…。気分は大沢君なんですよ。見て下さい、あの大英帝国のバカどもを。数時間後にルアンパバーンについてから、いくらでもばか騒ぎできるのに、こんな船でも楽しもうと躍起になってて…」というと、みんないっせいに僕を見て笑った。
え? え? もうみんなキマってるの? そんなに上物なんすか?いや、そうではないらしい。一通り笑い終えると、マサさんは言った。
「ユウジロ君、この船今日は着かないよ」
「??」話がつかめない。
「いやこの船スローボートだから、ルアンパバーンに着くのは明日のお昼過ぎだよ。今日は途中で停泊して、そこに泊まるんだ」
そうだったのか!? 「オージーはひとこともそんなこと言ってなかったっすよ! マジっすか、やだなー」
「いや、オージーのことはよくわかんないけど、そういうことだから、はい、どうぞ」
笑顔で手渡されたジョイントからは甘い香りが漂ってきた…。
気づくと、フランス人カップルも輪の中にいる。彼らも自前のものを僕らにくれる。フ、ラ。ン、ス、人、さ。す、が、「博」「愛」「主」「義」! !  !?

●川賊の襲来

次に気づいたときには、宿泊するらしい小さな村についていた。
するとたくさんの人間が船に乗り込んできた。僕は強盗の襲来かと思い焦った! 急いで自分のカバンを背負い、強盗の襲来に備える。
(お金は4ヵ所に分散してあるから、まあリスクは少ない。確か、ポケットの財布にしまったお金が一番少額だったはずだ…)
などと、強盗への支払いのシミュレーションをする。
(さすがにそれだけな訳ないと察するだろうから、右足の靴の裏に隠した300ドルは、見せ玉として渡してしまおう…)
強盗たちは、置いてあったバックパックを我先にと次々と背負っていく。こいつら、荷物狙いか…。と思いきや、どうやら様子がオカシイ。カバンを背負ったまま船の外で船客を待ち伏せしているのだ。しかもよく見ると彼らはみな小さな子供たちだった。
「プリーズ、トゥーダラー!」「プリーズ!」「オンリートゥー!」
大合唱が始まる。どうやら子供たちの小遣い稼ぎらしい。
荷物を奪われた白人や日本人バックパッカーたちは、みな一様に困り果てていた…。

2011年9月8日木曜日

◇初めての海外一人旅 〜ヨーロッパ サッカー編その2後半〜



(前回のあらすじ)
アジア人など一人もいないスペインはバルセロナのクラブに到着した僕。
一緒にきたジャンキーカナダ人たちと離ればなれになり、ひとりぼっちになってしまった。はたして無事に憧れのリーガエスパニョーラを見ることができるのか!?

●そこは、カオスだった

クラブには一度だけ行ったことがある。あのときは渋谷のClub Asiaというところへ大学の同級生だった中国人留学生の友人(カン君)と一緒だった。当時僕はようやく19歳になったばかりで、20歳未満が入場できないことを知らなかった。
エントランスの強面のお兄さんにIDを出せと言われ、僕は何も考えずに原付の免許証を出す。「オレ原付の免許あるんだぜ」と言わんばかりに堂々と差し出したのだけれど、免許を突き返され、帰れと言われてしまう。呆然と立ち尽くし、帰ることも入れてくれと懇願することもできなかった。その様子を見かねた、カン君が咄嗟に中国語で畳み掛けた。
気付くと「ゆじろ、ゆじろ、OKだよ。いこう」と声を掛けられた。何とカン君が交渉に成功していたのである。すげー中国人! 僕は心の中で、(ぜったい中国人だけは敵にまわさないようにしよう)と誓った。脱線しすぎてしまった。スペイン坂があるからといって、渋谷の話ばかりしても仕方ない。
スペインのクラブの前で取り残された僕は、先のカン君のような手助けもなくひとり困り果てていた。すると、絶世の美女が現れて、「うふふ、きみオリエンタルで可愛いわね、何人?」と聞いてきた。身長は僕と同じくらい。その他大勢の白人美女と同じように、腕の毛がバッチリ生えていたけど、バディのほうもバッチリだった。「い、いや、あのカナダ人と来たんですけど、エントランスで僕だけ門前払いされて…」というと、そのハリウッド映画に出てきそうな美女が僕の手を取って…なんていう展開はなく、おどおどしていたら、そこらへんのお兄さんが、「チケットならあっちで買えるよ」と教えてくれた。単にカナダ人たちはチケットの予約を入れていただけであり、僕はチケットを買えばいいだけの話だった。

「それなら一言そういってくれればいいのに、あのジャンキーたちめ」と、入場したら文句の一つでもいってやろうと息巻いて入場した。しかしそこはカオスだった…。

●汗、愛、そして怒り

もの凄い殺気だ。ひとひとひと。あーこりゃ、見つからないよ。
僕の怒りは徐々におさまっていく。汗まみれの人の合間を縫うようにして、歩いていると声を掛けられる。「おお、アジア人、どっから来た?」「日本だよ」「ふーん、楽しんでね」それだけかい! その男の子は、話し終えるとすぐに女のケツに手を回して踊りに戻った。誰も僕のことなんか気にかけていないんだ、どうせいつだって僕はひとりぼっちなんだ…なんてメンヘラみたいなことは一切思わず、いやーすげーな、オレもケツに手を回してーなーと思っていたら、誰かが僕の腰に手を回してきた! いよいよ、オリエンタルにもチャンスがやってきたか、と振り返ると顔を真っ赤にしたカナダ人がいた。おお、いたのかと、笑顔になるも、すぐさま思い直す。こいつらのせいでひとりぼっちになったのだから文句をいわねば、と。
が、なぜか、彼のほうが先に怒ってきた。「おめーどこいってたんだ、ふざけんな」と…。えーーーー!? オレ?? オレが悪いの?? 彼の怒りはおさまらない。が、よく観察すると様子がおかしい。酩酊状態の度を超えて、猛烈にフラフラなのだ。おいおいおいおい、それで帰れるのかよ、と優しい声をかけてあげると、急に機嫌が良くなった。そんな風にしてなだめすかしつつ、クラブというものをようやく楽しむことができた。

●甦るリーガエスパニョーラ!!

酔いもそこそこに、クラブを楽しんでいたが、ふいに思い出した。
明日はリーガエスパニョーラだ!
思い出すと止まらない。僕は帰る。いや、帰らせてくれ。ただ実は帰り道がわからないんだ、教えてくれないか。
カナダ人にせっつくも酔っぱらった彼らは応じようとしない。ならば自力で帰るのみ、とクラブを飛び出す。外は明るくなっていた。前夜の記憶にある街と明るい街が全く結びつかない。これはマズいことになった。もう寝たいのだ、僕はリーガエスパニョーラを万全な状態で見たいのだ!
「ヘルーーープ!」と心の中で叫ぶ。もう一度叫ぶ。「ヘルーーープ!!」

「へい。急に飛び出してどうしたんだい。大丈夫か」
そこにはカナダ人のうちの比較的酔っぱらっていなかった一人が立っていた。禿げかかった金色の髪の毛が、朝日と重なり、煌々と輝いていた。おーーまいゴッド!
まだまだフラフラで、なんで帰らなきゃいけないんだと、暴れる彼の友人とともに、タクシーに乗り込み、無事宿へ戻ることができた。

●2メートルを越すイラン人とロナウジーニョとエトオ

翌日のリーガエスパニョーラ「バルセロナvsマジョルカ」は、夕方からだった。日が暮れる頃、僕はカンプノウへ向かう。前日のクラブでの出来事のおかげで、いきなりエントランスへ行くのではなく、まずはチケット売り場を探すという順序を踏むことができた。

チケット売り場に並ぼうとすると、同時に列へやってきた中東系の人と譲り合う形になった。咄嗟に彼は僕を先に入れてくれようとした。
いやいや悪いですよ、いえいえ、いいんです、イランは結構日本のお世話になっていますから、いやでも、僕がお世話したわけでもないのに…、でも、ほら、リーガエスパニョーラは初めてだし、たまたま仕事でバルセロナに来ただけだから、で、でも、ジョホールバルではこちらこそお世話になったし…じゃ、せっかくだから一緒に見よう! と同じカテゴリのチケットを買った。W杯も一緒に行けたら良かったのにね、セリエAみたいに仲良く勝ち点を分け合ってさ。

そんな風にして、2メートル15センチあるというイラン人の彼と観戦することにした。カンプノウはやたらと急斜面でめちゃめちゃ恐かった。2メートルを越す彼の視線を考え余計に恐ろしくなり、前に座る頬を真っ赤にしたおじさんが身を乗り出してプレーに茶々をいれているのを見て(そんなに身を乗り出したら落ちちゃうよ!)さらに恐ろしくなった。ハーフタイムには、レアルマドリードが引き分けていると掲示板に出る。さらにその失点シーンも流れる。会場は大盛り上がりだ。ざまーみろと。
いやー、すごいのひと言につきる。
そんな中、当時マジョルカにいた大久保嘉人が後半途中から出てきた。おーーー、そう言えばマジョルカにいたのかと、突然の登場に感動したので、めちゃめちゃ大声で応援してあげた。「いけー!!(もちろん日本語で)」僕の応援が聞こえたのか(グランドからめちゃめちゃ遠い席だったけど)、大久保さんは見事な活躍を見せる、きちんとイエローカードをもらうことで、バルサファンを喜ばせていた。さすが大久保さんだ!
試合は、エトオとかロナウジーニョとか、全員めちゃんこ上手すぎて、バルセロナの圧勝だった。いまでもカンプノウで感じたあの熱気は忘れられない。絶対にもう一度みたいと思っている。
イラン人? 彼のメールアドレスは、なくしてしまった。もし日本語を勉強して、日本にやってきて、ことの成りゆきで書店で働くことになって、この文章を読んでいたら、弊社まで連絡ください。ロナウジーニョがゴールを決めた後、仲間たちにダイブしている写真がありますので。おわり。