ラベル ⑧「インド」編 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ⑧「インド」編 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年11月9日水曜日

10人兄弟とコイン@インド最南端カニャークマリ


●夕日と朝日が共鳴するところ

「朝日が昇り夕日が沈む聖地」と誰かが遠くを見る目で語る。
なんでも、「同じ立ち位置で、海から現れる太陽を拝み、海に消え行く太陽にお別れを告げることが出来る」と言うのだ。

昔から最南端だとか最北端、あるいは東南アジア最大だとかいった言葉に弱い。最北端に魅かれ宗谷岬を、東南アジア最大に魅かれトンレサップ湖を訪れたこともあった。
その聖地はカニャークマリと呼ばれる。インド最南端に位置する南インド旅のハイライトである。
ミナークシー寺院で有名なマドゥライから列車で約12時間、終点であるカニャークマリ駅に到着した。

最北端の地、宗谷岬
●隣の部屋の宿泊客

「おにーさん、どこから来たの?」
開け放たれた窓の鉄格子越しに見えたのは、1人の子供の姿だった。腕時計を見ると朝の7時。その日の僕は朝日を拝むために朝4時に起きていた。眠い目を擦りながら、子供のいる廊下に出る。
「日本からだよ。君は?」
彼はそれには答えず、ウシシシシとだけ笑い、隣の部屋に入って行った。そうか、隣の部屋の宿泊客か…。部屋に戻って、荷物整理をすることにした。午前のうちに次の町へ向けて出発するつもりだった。
「コンコン」しばらくすると、ドアを叩く音がした。
また来たな…。僕は彼を喜ばそうと各国で集めてきたコインを探した。大切に集めてきたけれど、少しくらいならとコインを入れた小袋を片手にドアを開ける。
すると、彼は3人になっていた。正確に言うと弟2人を引き連れてきていたのだ。一瞬たじろいでしまった。
3人を部屋に招き入れると、彼らは僕の荷物に興味を持ち、「これはなに?」「こうして使うんだよ」「すげー!」となった。悪くないなぁ、と僕は少し得意げな気持ちになる。
彼らの興味は永遠と尽きそうになかったので、「みんな、そろそろ、やることがあるから行きなさい! ほらほら〜」と部屋から出てもらう。
「あ、そうだコインをあげる」と最後に1枚ずつコインを選び取らせてあげた。ありがとう! バタバタバタッ。
彼らは嵐のように去っていった。

カラフル衣装がたまらない

●僕がその宿に泊まったワケ

マドゥライからカニャークマリ駅に着くと、徒歩で最南端の岬に向かった。途中、日本人の女の子とすれ違う。(やっぱり日本人は世界中にいるなぁ、そりゃ1億2千万人もいるんだから全世界の人口から考えれば、60人と出会えば日本人に遭遇する計算なわけで、当たり前の話だよな〜。これが、人口50万のルクセンブルク人だったら違うだろうな。そういえば、ルクセンブルク人の僕の担当教授は元気かな〜)などと考えていると、呼び止められる。
「あれ、もしかして日本人でした? あ、やっぱり! こんなとこで会うなんてすごいですね、南インドって全然日本人に会わなくて」
振り返ると、すれ違ったはずの日本人の女の子がいて、畳み掛けるように話しかけてきた。
「その荷物…ってことは、今着いたんですよね? 宿紹介しましょうか? 私のところ一泊100ルピーで泊まれますよ、私は女の子だってことで80ルピーにしてもらいましたけど!」
彼女は随分と愛想良く笑う。でも、全然心がときめかない。
恋愛に価値観というファクターはとても重要だと聞くが、まさにその通りだと思う。僕は日本人の彼女を見ても全然すごいなんて思わなかった(もちろん、少しは気になるけど)。対して、彼女はそう思った。まさに価値観の相違だ。

意外と多い家族連れの参拝者たち

彼女の強い推しで、僕はその宿に泊まることになった。90ルピーだった。
価値観どうのこうのと言っていても、「オシに流されるのもまた、恋愛である」と格言めいたことが頭に浮かぶ。
やはりメシは一緒にいくのだろうか…、そしたらその後も流れで、ビールでも飲みながら談笑して…むむ!
アラビア海に沈む夕日

ベンガル湾より出づる日の出

彼女は僕を宿まで連れて行くと、自分の荷物を背負い、「では、私は次の町へ行きますね、またどこかで!」とあっさり出て行った。

恋愛とはあまのじゃくである。

●似て非なる夕日と朝日

そんなこんなで、僕はその宿に泊まり、アラビア海に沈む夕日を眺め、ベンガル湾から昇る朝日を拝んだ。


荷物整理を終え、朝食のために宿を出る。南インドは飯がうまい。
ミールスと呼ばれる定食とチャイを飲んで、満足げに宿へ戻ると、先ほどの3人のうちの年長の兄が、「他の弟も欲しいとねだるんです、連れてきてもいいですか?」と聞いて来た。
ちゃんと、許可を得るところが可愛く感じられて、僕は快諾する。コイン、もう少しくらいなら余っているからいいよ、連れておいで。
僕はコインを1枚握って廊下で待つ。だが、やってきたのは6人の男の子だった。合計9人兄弟!? あわてて部屋に招き入れ、コインをベッドにぶちまける。
「ほら、みんな1人1枚だけ選んでいいよ」
内心ハラハラだった。とりあえず、1ヵ国につきコイン1枚だけは残したかったから。その時点ですでにベトナムのコインが残り1枚…。頼む、ベトナムコインを選ぶないでくれ! そう願っていると、みなタイバーツだとか日本円(500円玉も地味に痛いので、選ぶな! と願った)だとかを選ぶ。祈りが通じたのか、無事ベトナムコインは守られた(500円玉も)。
「さようなら」の段になって、何人かの子供たちが見送りにきてくれた。
健気で可愛いでないか! ぜひ写真を撮らせてほしい、というとみんな快諾してくれた。
ファインダーを覗くと、初見の女の子がいることに気づいた。
どうやらみんなの姉らしいが、弟たちの影でモジモジしていた。はて? そうか、弟たちの手前、コインをねだれないのかもしれない、きっと姉として“おねだり”はプライドが許さないのだろう。
みんな顔が一緒! …あれ? 1人だけ違う?

●最後のコイン

僕は荷物を忘れたフリをして少年たちをその場に待たせることにした。急いで部屋に戻り、慌ててカバンからコインを1枚取り出し、ポケットにしまう。
彼らのところに戻ると、仕切り直して、写真を撮った。
撮影を終えると、僕は、「あ、そういえば、もう1枚コインがポケットに余っていたなぁ、特に要らないから、どうしようかな、あ、そうだ君にあげるよ」と、さりげない感じで彼女に渡した。彼女も、「まぁくれるのなら、もらっとくわ」といった面持ちで受け取る。
だが、渡して気づいた。その1枚は、ベトナムの最後のコインだったのだ。僕は自分の顔が少し引き攣るのを感じた。
何かを察したのか、彼女はさりげなく僕に微笑んだ。


おねーちゃん登場! 

2010年12月2日木曜日

平日の昼間から@マイダン公園

◎インド・コルカタ、マイダン公園にて

平日の昼間にも拘らず、マイダン公園では、クリケットやらサッカーを楽しむ子供たちであふれていた。
代々木公園よりも広いように見えるが、100組近くのグループがいたので、けっこうな密度に感じる。さすが人口約1500万人の巨大都市インド・コルカタだ。


◎優越感は旅人を安心させる

おそらく長い旅をしているみんなが感じるだろう、“平日の昼間からオレは何してるいのだろう”という感覚。
坂口安吾が「堕ちるところまで堕ちよ」という素晴らしい格言を残してくれたのだが、現代の旅人たちは今もなお、堕落感にうちひしがれる。

こんなことを言うと怒られそうだが、“平日の昼間からオレは何しているのだろう”感は、途上国にいる“こいつら平日の昼間から何やっているんだろう”感で何となく救われた気持ちになる。インドやバングラデシュや中国などあらゆる所に“平日の昼間から”達があふれている。あるものは麻雀に興じ、あるものはチャーイを飲み、あるものはただひたすらに存在するだけだ。
彼らを見て、僕は、「オレは今こんなにも異国を感じて成長している!」「有り余る時間で『資本論』読んだもんね!(ホントは初めの章だけで挫折したけど…)」「昨日はチャパティを8枚もおかわりしたら、シク教徒のおっさんに褒められた!」などと理由をつけて、意味もなく優越感にひたる。


◎インドでチャイナはヒーローに!

マイダン公園でも悦に入りながら、子供たちの様子を眺めて歩いた。
子供たちからしてみれば、自分たちが見下されているとは、これっぽちも考えていないだろう。そんな風に感じていると、一つのサッカーボールが転がってきた。
蹴り返してあげると、そのサッカーをしているグループの中の一人の男の子がとことこと歩いてやってきた。

「ユー、フリー?」
どう見てもフリーだと思ったけど、僕は含みを持たせた。
「ふふん、どうかなー」
すると彼は「そっか、じゃあいいや」と、踵を返そうとしたので、僕はあわてて、
「暇だからサッカーでもやろうかなー、って思ったんだけどさ」と言うと、(仲間に入れて欲しかったのが正直なところだったので)
「うちのチームが一人足りないから、入ってよ!」と言われた。
よしきた。

実を言えば、僕はそれなりにサッカーができる。サッカー歴は20年ほどもある。(この言葉の響きから感じる上手さの3分の2くらいのレベルだ)

遠巻きに見ている限り、このグループはサッカーが上手いとは言いづらいレベルだった。
いっちょ驚かしてやるかと、試合に参加するなり、僕は強烈なシュートを放った。(ゴールから外れたけれど)すると、同チームの子供たちがみんな僕のところにやってきて抱きついてきた。「へい、チャイナ! 上手いじゃないか、これでぜったい勝ちだぜ!」ってな具合にみんなで大盛り上がり。
ところで、僕はチャイナではないので一応、「ジャパンね」と言っておいた。

その後も、何度も僕が活躍するたびに、子供たちは「チャイナ、チャイナ」の大合唱。僕はヒーローになれたようで、気分が良くなったので、チャイナでもいいかという気持ちになった。

試合は、僕の健闘もむなしく引き分けに終わりPK戦に突入。結局負けてしまった。


◎“涙のお別れ”にはほど遠く…

試合が終えると見計らったかのように、水売りのおじさんがやってきた。子供たちは、さっそくそのおじさんに群がったが、1.5リットルのペットポトルをたったの二本しか買わなかった。20人いてたったそれだけだ。

僕はといえば、一人で一本を購入。が、水を飲めなかった年少の子供たちのうらやましそうな目線でがぶ飲みができない。仕方なく一口だけ飲んで、残りは全部年少の子供たちにあげた。


別れ際に、グループの中でも年長の(14歳くらい)男の子が、「僕のおじさんが、観光案内してくれると思うけど、どう?」って聞いてきた。

それはありがたい話だ、と思い、その話に応じようとすると、先ほど水をあげた年少の男の子が、「悪者だよ、えへへ」と笑顔で言う。
その言葉に怖じ気づいた僕は、年長の男の子の提案を丁寧に断った。

ふと、思い出して、僕はその年長の男の子に尋ねた。
「きみ、平日の昼間からサッカーなんてやって、学校とかはないのか」
もちろん、優越感に浸りたい一心だ。ましてや彼は悪者のおじさんを紹介しようとまでした輩なので、罪悪感も薄い。
「ヘイ、チャイナ、今日は祝日だぜ。明日はもちろん学校さ」


まったくオレは平日の昼間から何をしているのだろう。

2010年10月29日金曜日

インドの食堂での“痛み分け”の話

◇インド東南部にある町マハーバリプラムの食堂で

あきらかに、2人の顔は瓜二つであった。

だから、インド訛りを意識した英語でつぶやいてみた。とびっきり舌を巻いた「R」を使って「ゆーあーるぶろざー」と。
彼ら3人にはまったく通じなかった。僕の“インド訛り英語”が下手なのだろうか。もう一度、「ゆーあーるぅぅぶるぅざー」
ポカーンとしている彼らインド人3人組。

インド人はいつだってそうさ…。


◇チャーイとビスケットと

前日のこと。
僕はチェンナイからここマハーバリプラムにくる列車に乗り込んだ。インドの列車にしては珍しく、空き空きの車内。悠々と席に座ることができた。
ぼりぼりと美味しくない朝食代わりのビスケット(袋に小さな穴があいていて蟻がたかっていることがよくあったけどこの時はいなかった)をほおばっていた。「チャーイ、チャーイ、チャーイ、チャーイ」と念仏のように呟きながら、チャイ売りのおじさんがやってくる。その「チャーイ」という言葉の響きは、インドではみな一様に少し鼻声で独特に響く。
実は、彼らはみなお茶の産地で有名なダージリンでチャイ売りの講習を受けるそうで、その講習には毎回1万人以上の受講者であふれかえるという話など聞いたことはない。

さて、やかんに入ったチャイを2ルピー(6円)で買う。さして美味しくもないビスケットをこのチャイにつけると、ふんぞり返るほどとは言えないまでも、蟻がたかっていたのでも食べていいかな、と思えるほどには美味しくなる。というくらい、このチャイは美味しい。


◇シーク教のおっさんに見下される

マハーバリプラムに向けて列車は走り出す。しばらくすると隣に座る恰幅の良いシーク教のおっさんに話しかけられる。「ユープローム?」「ジャパーン、イェー!!」
シーク教徒は頭にターバンを巻いているのですごくわかりやすい。インド全人口のおよそ2%しかいないにも拘らず、シーク教徒が目立つのはターバンのせいでもあるが、ビジネス界や政界で活躍する人が多いからでもある。そういったわけで、高等教育を受けている率が高いシーク教徒には、英語が得意なヤツが多い。前置きが長くなったが、彼もその内の一人。英語が出来るようだ。
でも、大半のインド人の英語が訛っていてすごーくわかりづらいように、彼の英語もその例外ではなかった。
全然聞き取れず、逆に僕の英語も全然聞き取ってくれない。しまいには「君は経済大国日本に生まれたのに英語もできないなんて」とダメのレッテルを貼られてしまう。いやいやいやいや。


◇ミールスはとっても美味しい!

場所は、マハーバリプラムの食堂に戻る。
南インド料理の定番ミールスは、バナナの葉っぱに数種類のおかずとライスが並べられた定食で、ぐちゃぐちゃと右手でかき混ぜながら食べる。
僕もインドに来てからはちゃんと右手でご飯を食べ左手でケツをふいているので、当然のように右手がぐちゃぐちゃ。そこで、飲み水だけど飲まない水の入ったステンレス製のコップに手を突っ込んで簡単にすすいだ。
そして僕は、おもむろに立ち上がり、彼ら3人の前に立つ。
まだカレーのついた手で兄弟だと思われる2人の肩に手を置き「ユー、ユー、ブラザー!!」と言った。僕の手は彼らの肩のおかげで完全に綺麗になった。
それでも通じなかった。そうしてようやく気づいた。彼らは英語がわからないのだ。

僕は、列車での件もあって勝手に彼らが「英語」で僕を見下しているのだと妄想し、彼ら3人に対して憤慨してしまったわけなのだけれど、訳の分からない彼らは、立ち尽くすばかり。
(やってしまった…)
肩で手まで拭かせてもらい、いまさら後に引けず、僕はどうしたものかと考えた。まあ普通に考えて、ジェスチャーしかないということで、君と君の顔が似ているから、家族だろう?というようなニュアンスでめいっぱい体で表現した。


◇けっきょく…痛み分けか


伝わった。
笑顔で、首をかしげてくれた。インドでは首をかしげる=YESだ。兄弟は肩を組み合って、どうだい僕ら似ているだろう?と言ってくる(気がする)。
あー通じて良かったと思いながら自分の席に戻って、また食事を再開。
すると突然、彼らに呼ばれた。一緒にメシ食おうと言ってくる。いいよ、と同じテーブルに移動して、クチャクチャと一緒にメシを食べた。食べ終わると、店員を呼んでおかわりをお願いしてくれた。(ミールスは基本おかわり自由)
お腹いっぱいで、もういいよーという感じになってくると彼らも察したのか、そいじゃお会計をってことなった。するとおごってやると言う(気がする)。お断りをする間もなく、会計を済ませてくれた。
笑顔でお礼を言って、3人とありがとうのハグをした際に、また手を綺麗に拭かせてもらった。なんて彼らは優しいのだろう。
そう思いながら宿に帰りシャワーを浴びようと服を脱ぐ。

服の背中のところがカレーまみれだった。

2010年8月3日火曜日

長旅に際しての個人的な僕の移動のきっかけ①

◯なぜそんなところに覗き穴が!?

中庭にある洗面台で歯を磨いていると、すぐ脇にあるドアからシャワーの音が聞こえてきた。
「こんなところに、シャワーがあったのか…」
ふと目を向けると大変な事実に気付いた。なんと、そのドアの鍵穴には1㎝ほどの覗き穴のようなものがあった。驚きと興奮のあまり、僕は泡をふいてしまった。(と思ったら、歯磨きの泡が垂れていただけだった)
「焦るな。焦りから良い結果は生まれないぞ」と自分を諭すように呟き、僕はまわりを見渡した。中庭には、食事のできるテーブルが2つ、計8人分の席がある。僕は、ごく自然な面持ちで、チラリとテーブルに目をやると、そこには誰もいなかった。さらにそのテーブルの奥には、キッチンがある。そこで、宿泊者の食事(オーダーがあれば)を作る。テーブルに誰もいないのだから、当然キッチンには誰もいなかった。僕は、よしよし、いい流れだ、と、歯を磨く手に力が入った。


◯No Drugs in Puri!!

インドのオリッサ州にあるプリーは、コルカタからおよそ500km南西にあるベンガル湾沿いの小都市。かつては「西のゴア、東のプリー」といわれるヒッピーの聖地だったようだが、僕が訪れた2008年6月は、ちょうど雨期に入り始めた頃だったこともあるのだろうが、かなり閑散としていた。

「ハシシ、ハシシ、ハパ、ハパ、ニホンジン、ヤスイネ」とマリファナを売り込んでくるプッシャーの姿もあまり見かけなかった。(バラナシやコルカタでは、本当にたくさんいた)
プリーは、ヒッピーの聖地という以外にも、ヒンズー教の四大聖地の一つ、ジャガンナート寺院の門前町という顔もある。参道である町のメインストリートでは、お祭り用のどでかい車輪を作っていたり、お土産や宗教グッズ、お菓子屋など無数の出店が並んでいたり、野良牛と巡礼者が戯れていたり、実にインドらしい混沌具合が見られた。




◯「世界に取り残された」ホテル・ガンダーラの日々

僕が泊まっていたホテル・ガンダーラは、日本人に有名な3つの宿の一つである。そこには当然のように無数の日本の本があった。プリーでできる観光や暇つぶしを一通り済ませると、部屋にこもってそれらの本を貪るように読んだ。
雨期で、外に出るのが億劫だったのも、部屋にこもることになった要因だ。そうして、外出は一日に数十分という日が続いた。

ホテルには、ほとんど宿泊客がいなかった。が、ある日、隣の部屋に、インド人(?)男性と日本人女性のカップルやってきた。ある時、すれ違い様に、簡単な挨拶を交わした。
やがて、次第に僕は「世界に取り残された」気分になっていった。ホテルにあった「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」をいっきに読むと、それまでの陰鬱な気分に拍車をかけ、頭の中がぐるんぐるんになった。

突如、桶をひっくり返したようなスコールと激しい雷が町を襲った。と同時に、「カチン」と、頭の中でスイッチが切り替わり、僕は東南アジアでさんざんな目にあった、“キマっている”ときを思い出し、目眩が止まらなくなった。ハッパから手を引いて、およそ、ひと月は経っているはずなのだが…雨がやみ、透き通った空気が町を軽やかに見せても、僕の気分は軽やかにならなかった。
頭の中の何かがおかしかった。

◯思考は一転、エロ一直線へ!!

気分を変えなくては。

このままではまずい、と思考がおかしな方向に行く前に、行動をすることを決意。
僕は、汗まみれの服を入念に洗濯し、コチコチに固まった身体をじっくりと時間をかけてストレッチした。徐々にではあるが、集中力が高まり、いくぶん頭の中もクリアになった。さらに顔を洗い、歯を磨く。すべての歯垢を取り除くよう、実に丹念に。シャワーの音はそんな矢先に聞こえてきた。
鬱な気分は吹き飛んだ。頭は、エロ一直線!!誰かに見られていないことを確認すると、僕は勇んでかつ慎重に鍵穴に目を向けた…

「うわっ!!」突然、ベチョベチョしたものが僕の足に触れた。
寡黙に掃除を担当するインド人が、ぼろぼろになった真っ黒な雑巾で僕の足を拭いたのだ。彼自身も僕がそこにいたことに、びっくりしたようで、目を丸くしていた。(なんなんだよ、びっくりさせやがって、バレたかと思ったじゃないか…)僕はそう毒づきながら、歯磨きを済ませ、部屋に戻った。部屋に戻るとき、料理担当のインド人と目が合った。彼は、ほくそ笑むようにニヤリとした。

◯満を持して、2度目のチャンス到来!!

焦りは禁物だ。僕は、耳を凝らして、次のチャンスをうかがうことにした。こっちには時間だけならいくらでもある。飯を食べるのも忘れ、僕はその時を待った。
次にシャワーの音が聞こえてきたのは、日が落ちかけてきた、夕暮れ時だった。
僕は、歯を磨き始めた。そして、前回と同じように、中庭を見渡し、誰もいないことを確認。よし、今回は間違いない。誰にも邪魔されないぞ、いや、むしろ、この際、邪魔されようが見てやる、とばかりに気合いを入れて、鍵穴に目を動かした。

そこには、期待通りのあの姿が…と思った瞬間、また足下にいる雑巾がけのインド人と目が合った。そして、「君の足下を拭きたいから、どけ」というジェスチャーをされた。
(こ、こいつめ…)僕は怒りを覚えた。きっと顔も凄い剣幕をしていたはずだ。
すると、キッチンの方から、料理担当のインド人2人が、僕を見ながらゲラゲラと笑う声が聞こえてきた。
「しまった。これは罠だったのか。見られていたのか!?」

◯旅の移動は突然に…

何度か、耳にしたことがあった。シャワー室にわざと覗き穴をあけておき、それを覗いた宿泊客から、お金をせびるという手段だ。
(やられた…)

「覗く」ことから、いっきに「いくらまでなら払うか」を計算する頭に切り替わった。(100ルピーか、いやいや、それではいくらなんでも高すぎる、10ルピーずつくらいが妥当なところか!?)などと、考えていると、そのインド人3人はウィンクしながら、近づいてきて、あっさりとシャワー室を順番に覗いた。
(あ!!!おまえら、確信犯だったのかよ…)
僕の気分はいっきにさめた。覗くことはおろか、この町にいるのも嫌になった。

すぐさま、荷物をバックパックに詰め込んで、プリー駅に駆け込み、オリッサ州の首都ブバネーシュワルへ向かった。そこからならば、チェンナイ行きの夜行列車がある気がした。思った通り、チェンナイ行きの夜行列車があり、今にも出発というところだった。
SLクラス(Sleeper Class)なんて乗るきになるか!!とばかりに、車掌に値段がひじょ〜に高いエアコン付二等寝台の席を確認すると、空いているという返事が返ってきたので、僕はその電車に飛び乗った。

2009年11月9日月曜日

インドの奥の深さ、ベトナムの奥深さ

◎インドの奥深さを感じた瞬間
僕はもう我慢できなかった。
2週間ほど前には宿のトイレまで我慢しようとして、宿のドアがなかなか開かず、トイレ一歩手前のところで、全部垂れ流すという恥をさらしていた。そんな経験があったので、今回は目についた最も近いトイレに急いで駆け込むことにした。インドのデカン高原にある田舎での出来事だ。

中に入ると、一目散に、便器へと向かった。しかし15ほどある便器はどれもうんこまみれで、足の置き場もなかった。とは言え、その程度ならば、何度も経験していた。「大丈夫だ」と自分に言い聞かせ、その中でもっともマシなトイレにしゃがみ込んで、無事便を終えることができた。




 しかし、問題はそこからだった。もちろんトイレットペーパーなどない。はじめからこっちもそのつもりだ。
「さて、右手で水を注ぎながら、左手でゴシゴシやるか」という段になって、はじめて僕は気付いた。そこにあるはずのものがないのだ。そう、水がなかったのだ。水がなければ、お尻がきれいになりようがない。いままで、僕が経験したトイレは、どんなに汚くても、水瓶だけはあった。それで、お尻を洗うことだけはできた。しかし今回はその水が全くないのである。
やるべきことは明確だった。とにかく水を探しにドアから外に出るのだ。一念発起して、僕は下痢によって未だ湿っているお尻に、左手をあてがいながら、ズボンを上げ、外に出た。するとあっさり巨大な水瓶が見つかった。助かった!僕はすぐにそう思った。そりゃそうだよな、インド人だってケツ拭かなきゃだもんな、と。でも、それも間違いだった。

間違いとは、つまり誤算のことである。ここには大きな誤算が2つあった。
①水がものすごく汚い。
②巨大な水をすくうものが何もない
そう、この2つが僕のお尻の洗浄に立ちはだかる巨大な障害だった。
①に関して。外に丸出しの水は虫だらけだし、茶色く濁っている。しかしどうしようもなかった。なるべく水の表面だけをスライスするように使う、これだけが対処法に思えた。
②に関して。桶は何もない。考えられるのは、手だけだった。しかし、どう考えても手のひらだけでトイレまで水をこぼさずに持っていくことはできない。さらに、右手はズボンをおろすのに使うから、必然的に、左手で水を運ぶことになるのだが、それでは湿ったお尻をあてがう手がない。
その場で、立ったまま下半身丸出しになるしかなかった。僕はその場でズボンを脱ぎ、パンツも脱ぎ、下半身丸出しになって、ゆっくりと左手で、水瓶から汚い水をすくい、それを塗りたくるようにして、お尻を洗った。
 
意外にも気持ちがよかった。ウソだ。さすがに、あまり気持ちのよいものではなかった。
トイレから出ようとすると、インド人の男の子が現れて、トイレ代の50パイサを要求してきた。
そんなトイレから歩いてほんの数分のところに、フルーツを売るおじさんがいて、そこにマンゴーがあった。一個10円もしないそのマンゴーはとろけるような甘さで、僕は毎日しゃぶりついた。ホントに甘くてうまかった。
ゼロを発見した国はこうも、奥が深いものかと感心した瞬間であった。



◎ベトナムの奥深さを感じた瞬間
ガイドブックよるとベトナムの中で最も有名なビーチであるニャチャンビーチは、「世界でも有数のリゾート地であり、とてもきれいである」とあった。「ニャチャン」というそのエロそうな名前といい僕は、是非行ってみたいと思った。
 世界遺産の町フエから、ベトナム名物、豪華スリーピングバスでニャチャンに着いたのは夜中だった。僕は宿を探すため、町を歩いた。
ニャチャンの町はゴミだらけだった。少しのスペースがあればそこはゴミ溜めとなっていた。暗い道を歩いているといつの間にかゴミに囲まれている、ということが何度もあったほどだ。
あーなんか中国のようだな、と感じた。においも近い。そんな中国が僕は好きだけど、ニャチャンには求めてない!と、僕はそう叫びたかった。





 次の日の早朝4時に僕は朝日を見るために宿を出た。薄暗い町をしばらく歩いているうちに、あることに気付いた。ゴミがないのだ!僕は一瞬自分を疑った。しかし、どう周りを見渡してもゴミはきれいさっぱり取り払われていた。つまり。夜中の12時から早朝4時の間にゴミが全部掃除されたことになる。ベトナムすごい、単純にそう思った。目についた、湯気が立つ屋台へ行き、フォーを食べた。めちゃくちゃうまかった。  



そのまま、ビーチへ行き、朝の4時30分にもかかわらず、ほんとうにたくさんのベトナム人がいた。水浴びをしたり、体操をしたり、歌を歌ったり。みんな笑顔だ。誇らしげだ。楽しそうだ。
1時間後、眠くなったので、宿に戻ろうと帰路についた。すると、先ほどめちゃくちゃうまかった、フォーの屋台のおばさんが屋台のすぐ隣のスペースにゴミを捨てまくっていた。まだ朝の6時前だというのに、結構な量のゴミが溜まっていた。
ベトナムの奥の深さを感じずにはいられなかった。

2009年6月22日月曜日

インド世界遺産hampi


◎ハンピとは
14世紀から17世紀頃に繁栄したビジャヤナガル王国の遺跡として1986年にユネスコ文化遺産に登録された、南インド山間部にハンピ(Hampi)はある。本当に、ここが世界遺産なのか疑うほど、活気が感じられない所だ。多くの場合、途上国の世界遺産では、観光客目当てに、混沌が生まれるのだが、ここにはそれがない。
◎ハンピのよさ
あるとき歩いていたら、インド人に声を掛けられた。まあ歩いていれば、10分に一度は必ず声を掛けられるインドだけれど。「ユーはアメリカか」「ちがう」「じゃあユーはロシアか」「ちがう」すると、それじゃあいったい君は何なんだ。という顔をする。そんな空気感が良いのか、個人の外国人旅行客がちらほらいる。
◎ハンピ寂静の日々
あるとき歩いていたら、インド人に声を掛けられた。彼の手には藤原新也の「印度放浪」があった。彼は、本を差し出してくる。これは暇つぶしに良いと思って手にしかけたけれど、理性が叫んだ。お金を取られるぞ!「いくらだ」僕は先に尋ねた。「ただだ」「本当か。僕は金がない」「大丈夫だ、心配するな」「本当か」「もちろん。ただ君の持っている本がほしいだけ。私の夢は、ここの棚を外国語の本でいっぱいにすることだ」なるほど、案内された彼の家の(安宿でもあるようだ)棚には、英語、日本語、仏語、独語、西語などの本が並んでいる。特に日本語、独語が多い。僕は読み終わっていた、妹尾河童の「河童が覗いたインド」を贈呈することにした。そして、その日と次の日たっぷり二日間かけて、印度放浪を静かな遺跡の片隅でのんびりと読んだ。悪くなかった。
◎ハンピの観光客
あるとき歩いていたら、インド人に声を掛けられた。写真を撮ってくれと言う。僕がカメラを肩にかけているのを見たのだろう。断る理由もないので撮った。話す。「ユーはヒンズーか」「違う」「我々はムスリムだ」「なるほど」「神はアッラーしかいない」「ふむふむ」「君は神を信じるか」「僕は神はいると思う。神は我々一人ひとりの心の中にいるんじゃないかな」「そうか、でも神はアッラーだ」そういって、彼らは満足そうに去っていった。さて、ハンピはヒンズー教の遺跡群である。そんなところに観光に来ているムスリムのインド人を見て、僕はなんだか幸せな気持ちになった。そもそも偶像崇拝が禁止のムスリムが写真を撮っていってほしいと言うところからして、ほっこりさせられる。おわり。