◎インド・コルカタ、マイダン公園にて
平日の昼間にも拘らず、マイダン公園では、クリケットやらサッカーを楽しむ子供たちであふれていた。
代々木公園よりも広いように見えるが、100組近くのグループがいたので、けっこうな密度に感じる。さすが人口約1500万人の巨大都市インド・コルカタだ。
◎優越感は旅人を安心させる
おそらく長い旅をしているみんなが感じるだろう、“平日の昼間からオレは何してるいのだろう”という感覚。
坂口安吾が「堕ちるところまで堕ちよ」という素晴らしい格言を残してくれたのだが、現代の旅人たちは今もなお、堕落感にうちひしがれる。
こんなことを言うと怒られそうだが、“平日の昼間からオレは何しているのだろう”感は、途上国にいる“こいつら平日の昼間から何やっているんだろう”感で何となく救われた気持ちになる。インドやバングラデシュや中国などあらゆる所に“平日の昼間から”達があふれている。あるものは麻雀に興じ、あるものはチャーイを飲み、あるものはただひたすらに存在するだけだ。
彼らを見て、僕は、「オレは今こんなにも異国を感じて成長している!」「有り余る時間で『資本論』読んだもんね!(ホントは初めの章だけで挫折したけど…)」「昨日はチャパティを8枚もおかわりしたら、シク教徒のおっさんに褒められた!」などと理由をつけて、意味もなく優越感にひたる。
◎インドでチャイナはヒーローに!
マイダン公園でも悦に入りながら、子供たちの様子を眺めて歩いた。
子供たちからしてみれば、自分たちが見下されているとは、これっぽちも考えていないだろう。そんな風に感じていると、一つのサッカーボールが転がってきた。
蹴り返してあげると、そのサッカーをしているグループの中の一人の男の子がとことこと歩いてやってきた。
「ユー、フリー?」
どう見てもフリーだと思ったけど、僕は含みを持たせた。
「ふふん、どうかなー」
すると彼は「そっか、じゃあいいや」と、踵を返そうとしたので、僕はあわてて、
「暇だからサッカーでもやろうかなー、って思ったんだけどさ」と言うと、(仲間に入れて欲しかったのが正直なところだったので)
「うちのチームが一人足りないから、入ってよ!」と言われた。
よしきた。
実を言えば、僕はそれなりにサッカーができる。サッカー歴は20年ほどもある。(この言葉の響きから感じる上手さの3分の2くらいのレベルだ)
遠巻きに見ている限り、このグループはサッカーが上手いとは言いづらいレベルだった。
いっちょ驚かしてやるかと、試合に参加するなり、僕は強烈なシュートを放った。(ゴールから外れたけれど)すると、同チームの子供たちがみんな僕のところにやってきて抱きついてきた。「へい、チャイナ! 上手いじゃないか、これでぜったい勝ちだぜ!」ってな具合にみんなで大盛り上がり。
ところで、僕はチャイナではないので一応、「ジャパンね」と言っておいた。
その後も、何度も僕が活躍するたびに、子供たちは「チャイナ、チャイナ」の大合唱。僕はヒーローになれたようで、気分が良くなったので、チャイナでもいいかという気持ちになった。
試合は、僕の健闘もむなしく引き分けに終わりPK戦に突入。結局負けてしまった。
◎“涙のお別れ”にはほど遠く…
試合が終えると見計らったかのように、水売りのおじさんがやってきた。子供たちは、さっそくそのおじさんに群がったが、1.5リットルのペットポトルをたったの二本しか買わなかった。20人いてたったそれだけだ。
僕はといえば、一人で一本を購入。が、水を飲めなかった年少の子供たちのうらやましそうな目線でがぶ飲みができない。仕方なく一口だけ飲んで、残りは全部年少の子供たちにあげた。
別れ際に、グループの中でも年長の(14歳くらい)男の子が、「僕のおじさんが、観光案内してくれると思うけど、どう?」って聞いてきた。
それはありがたい話だ、と思い、その話に応じようとすると、先ほど水をあげた年少の男の子が、「悪者だよ、えへへ」と笑顔で言う。
その言葉に怖じ気づいた僕は、年長の男の子の提案を丁寧に断った。
ふと、思い出して、僕はその年長の男の子に尋ねた。
「きみ、平日の昼間からサッカーなんてやって、学校とかはないのか」
もちろん、優越感に浸りたい一心だ。ましてや彼は悪者のおじさんを紹介しようとまでした輩なので、罪悪感も薄い。
「ヘイ、チャイナ、今日は祝日だぜ。明日はもちろん学校さ」
まったくオレは平日の昼間から何をしているのだろう。