2012年1月11日水曜日

ダッカのリキシャ


「どうして行ってくれないんだ」
身振り手振りで何度説明しようとしても、その男は一向にとりあってくれず、僕の乗ったリキシャは前に進むことをやめてしまった。
そうしているうちにも、前日に買っておいたインド行きのバスの発車時刻が迫ってくる。
バングラデシュでの滞在4日目のことだ。

◎ホテル・アルラザックへ

インド・コルカタからバングラデシュのダッカに向かうバスに乗り込んだのは早朝の6時だった。
そのときはまだ体の調子が良く、第2の都市であるチッタゴンやクルナ、ロングビーチで有名なコックスバザールなどへ思いを馳せていた。特に、ビルマ(ミャンマー)との国境付近を訪れた友人の話を聞く限りでは、他では得難い体験が待っているのは確実である。

まずはバングラデシュ旅の先達の残した記録を探るべく、ダッカの旧市街近く、ホテル・アルラザックを目指した。
この宿には「情報ノート」と呼ばれる旅人直筆のノートがあり、陸上交通では行かれない地区への移動手段であるロケットスチーマーの情報などが書かれている、とコルカタの「情報ノート」に書いてあったのだ。
ホテル・アルラザックから見たダッカの様子
◎次第に悪化する体

しかしどうも様子がおかしい。
インドとバングラデシュの国境でお腹の調子が悪いなぁと思って、トイレ(もちろんトイレと呼べないほどの代物だった…)に駆け込むと当然のように、シャーとお尻から水が流れ出る。そのトイレを皮切りに、どんどん体調は悪化していった。何度も漏らしそうになりながら、狭い座席にうずくまって必死に堪えた。

★☆☆★★☆☆★

ホテル・アルラザックへの道は、手書きの地図を見せても、「アルラジャック」「アレラザック」「アルレジャック」などいろんな発音を試してもまったく通じず、誰もわからない。
とにかく、バスターミナルから南へと向かうことだけはわかっていたので、コンパス片手に、「あっちへ向かってくれ」とだけ言い、リキシャに乗り込む。大通りを南下していくと、一度大きく東へ向かった。そのことで、何とか手書き地図と現在地が頭の中で一致する。めぼしいところで、降ろしてもらった。そこで、もう一度周りの人間(比較的インテリそうに見える人)に聞くと、「あぁ、そこのことか」と指差さした先に、ホテルがあった。
教えてくれた男性に、「そんなことより君は外国人だな、友達になろう」と言われたが、肛門の括約筋が壊れてしまいそうだったので失敬した。
インテリとリキシャマン

◎バングラデシュを脱出せよ

そこから3日の間、ほとんどホテルに滞在することになる。もはや軟禁状態だ。犯人はもちろん下痢。それに加え熱もあった。
3日目の朝、暑いのに寒く、だけれども熱い、という状態で目が覚め、ふと思う。バングラデシュに滞在していたのでは、一向に治らないのではないか、と。
いちどそう思うと、「病は気から」というわけではないが、はやめにこの国を出るべきだという考えが頭から離れなくなってしまう。
ホテル・アルラザックの一階にある評判の悪いレストラン(体調悪のため、ほとんど毎食ここへ行った、というか行かざるを得なかった)へ行き、英語のできる男が現れるのを待つ。というのも、ここで食事をしていると毎回、どこからともなく英語を話す男が話し掛けてくるからだ。
ものの、5分ほどで前夜と同じ男が現れる。
「昨日君が言った通り、僕らは友達さ、だからリキシャにバスターミナルまで連れて行ってくれるように頼んでくれないかな?」
そう言うと、親切にリキシャをつかまえてきてくれた。
そうして、翌日にインドへと脱出するためのバスチケットを手に入れることができた。

いざ、バスターミナルへ!
◎インドへ向けバスターミナルへ! のはずが…

僕を乗せたリキシャは比較的大きな道路との交差点にさしかかると、何の前触れもなく止まってしまった。理由はわからなかった。
ほんの10分ほど前に、リキシャマンである彼は自信に満ちた笑顔で、「バス停まで行きたい」と言う僕を迎えてくれたのだ。
リキシャ社会独自の縄張りでもあるのだろうか。だが、それならば初めからわかっていた話である。
他のリキシャに、どんどん追い越されていく。
僕は何とかバスターミナルまで行ってもらえるよう説得を試みたのだが、彼は困ったような表情を見せ、あげくにリキシャから降りてしまった。ここから先へは行けないのだ、と身振り手振りで説明してくる。

★☆☆★★☆☆★

ここから先は行けないとの一点張りで、埒があかない。次第に、事態はややこしくなる。好奇心旺盛なバングラデシュの男たちが集まりだしたのだ。
彼らに「放っておいてくれ」などとはもちろん言えず、見る間に20、いや30人に囲まれる。
ある人は、ただただ好奇のまなざしを向け、ある人は、我こそが裁判官だといった態度でもって介入してくる。
意外だったのは、彼らがみな自国(リキシャ)の味方だというわけではなかったことだ。僕の味方も少なくなかった。「どうしてお前はこっから先に行ってやらないんだ、この外国人が困っているじゃないか」と。
だが、リキシャの男は頑なだった。拗ねてだんまりを決め込む小学生のように、表情一つ変えなくなってしまった。
そのうちに、一台のリキシャが横付けしてきた。「どうした?」と聞いてくる。それが引き金となったようで、どこからやってきたのか、10台以上のリキシャが集まってきたのだ。どうやら本格的に面倒なことになってきたようだった。

リキシャの渋滞、いや、リキシャで渋滞
◎バングラデシュは未知の国ではないはず…

インドにいる旅人、いや、インドのコルカタにいる旅人にとって、バングラデシュとは、あるいはその首都ダッカとは、そんなに遠い存在ではない。
僕が訪れたのは2008年のこと。旅行人からバングラデシュのガイドブックが2002年に出ている。そのこともあって、かなりの日本人がその地を訪れている。かの地の「未知の国」という側面はかなり薄れてきているように思う。
先にも書いたが、「情報ノート」と呼ばれる、旅人直筆の旅の情報ノートが、インドに点在する日本人宿に置かれているが、そこにはバングラデシュ情報がかなり克明に記されてもいる。
少し古い書き込みには「サインを求められた」というものがあった。町を歩くと、外国人だというだけで何十人というベンガル人に囲まれ、さらにはサイン責めにあったという。
そんな話は前時代的だなぁと思ったものだ。いまさらそんなことが起きるものか…。
北上せよ!
調子の悪い体を奮い立たせ、倒れるようにリキシャに乗り込む。
あと10分でバスターミナルというところまできた。それがどういうわけか、さすがにサイン責めにあってはいないものの、20〜30人+10台のリキシャに囲まれてしまったのだ。

全員に、「わかった、また今度十二分に相手をしてあげるから、今日は見逃してください!」と20タカ(当時で約25円)ずつ渡したい気分だが、そんな元気もない。
初めに乗っていたリキシャマンに、バスターミナルまでの運賃を握らせる。
そして10台のリキシャのなかから一番、威勢が良くアウトローな雰囲気を持つ男を選び、最後の力を振り絞りリキシャに乗り込む。

北だ、とにかくこの道を向こうに向かってくれ! そう身振りで伝えると、彼は頼もしい足で、力強くペダルを漕ぎ出した。
見る見る、野次馬たちが遠くなっていく。
朦朧とする意識のなか、バスの発車時刻までにバスターミナルへたどり着くことだけを祈った。
長距離バスターミナルの前の様子