2010年4月1日木曜日

微笑みの国、タイの“微笑み”のワケ

◎トゥクトゥクのおっさんの奇妙な行動

ピックアップトラックの荷台に乗った少年に突然、水をかけられた。彼は、これぞ「したり顔」という顔をして、僕に微笑みかけていた…

4月13日、僕はスコータイからの夜行バスでチェンマイに着いた。
バックパックを背負って、遠距離バスターミナルに降り立つと、いつものように僕は、トゥクトゥク(三輪タクシー)に乗り込んだ。
「安宿なら、旧市街に行けばいくらでもある」と、意気揚々と旧市街に向かうように指示をした。

まだ旧市街には達していないところで、何の前触れもなく、トゥクトゥクは停まった。「降りて、ここからは歩いてくれ」と言う。
普段は、“微笑みを絶やさず”に、うざいほど最後まで旅行者につきまとう彼ら。そして、何とか宿のマージンを手に入れようと、あるいは、その後の旅行をアテンドさせて欲しいと買って出てくるはずなのに…
不思議に思ったが、料金も良心的だったこともあってか、「まぁいいか」という気持ちで、とぼとぼ歩き出すことにした。





◎タイ人の「世渡り上手力」
「政治的に不安だから旅行者は気をつけるべし」という声を良く聞く。しかし、僕の経験則から言って、気をつけるべきは、「日本に帰る時間」だけだ。
彼ら、タイ人の「世渡り上手力」は歴史的にも証明されている(第1次世界大戦や第2時世界対戦での彼らの列強に対する振る舞いを見ればよくわかる)通り、飛び抜けて高い。


だから、彼らは外国人旅行者を巻き込んだらどうなるかくらい心得ている。政治的要因で、日本人やその他外国人に危害を加えることは、ほとんど考えづらい。

ただし、こと「交通機関」に関してはそうはいかない。空港を占拠されれば、日本へ帰ることはできない。旅行の翌日に、日本で「重要な会議」を控えている人間は大いに気をつけるべきだ。
「日本にどうしても大事な会議があるから通してくださいな」と、お願いしようがお構いなし。微笑みを絶やさずに、「マイペンラ〜イ(問題ないよ)」と言われるだけで、日本へは帰れないだろう。

◎マイペンライが恐いワケ
旧市街に着くと、とんでもない状態になっていた。4月13日〜15日の旧正月に執り行われる、水掛祭り(ソンクラーン)のまっただ中だったのだ。中でもチェンマイのそれは有名で、日本でも知れ渡っている。
僕は今日がその日だと言うことをてっきり忘れて、何の用意もないまま、この地に降り立ってしまったのだ。

ソンクラーンでは、外国人旅行者もへったくれもない。とにかく水をかけまくる。こちらがどんなに高価なカメラを持ち、どんなに大きなバックパックを背負い、どんなに身振り手振りで許しを乞おうが彼らは微笑みながら、水を掛けてくる。20万円のカメラが再起不能になろうが、「マイペンライ」なのだ。

時には死人だって出る。高速で走るバイクに向かって、思い切りバケツの水をぶちまけるから、転倒事故が後を絶たないのだ。
実際に、僕もバイクで時速40キロを出して走っているところを、木の陰に隠れた少年に水をかけられ、あやうく転ぶところだった。それでも彼らは「マイペンライ」だ。



◎デジカメを守れ!
とにかく、デジタルカメラとパスポートと紙幣(2000ドル+10万円)だけは守ろうと、何重にもビニール袋を被せ、バックパックの奥底にしまい込んだ。
と同時に、後ろから水をかけられた。振り向くと、ピックアップトラックの荷台に乗った少年が、これぞ「したり顔」という顔をして、僕に微笑みかけていた…
ぎりぎりのタイミングだったので、本当に危なかった。


何とか安宿に着いたが、そのときには全身水浸し状態。
あーあと思いながら、バックパックを開けて、最重要荷物が無事なことを確認すると、僕は、荷物を放り出して、目をつけておいた食堂に行った。全身濡れたままで…

ずぶ濡れの僕を見ても、全く驚かない店主。うまい食事。40℃近い日照り。そして、ビール。店の前では、水をかけあいまくる人たち。
そして店内にもその“騒ぎ”が飛び込んでくる。応戦して、お客も、手に持っていた、コップの水をぶちまける。
心の中で「マイペンライ」と呟きながら、僕は“水掛け主戦場”へと繰り出した。

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