2011年1月26日水曜日

拝啓、パリコレ見てきました

◎冷静なフリなら誰にも負けない

「うぃ」「のん」「のん」「のん」「うぃ」
(ドキドキ)さあ、僕の(どきどき)番だ。冷静ささえ失わなければ、勝利は目の前のはずだ!
はい、閑話休題。僕は冷静なフリには慣れている、ふふん。ほんの数カ月前、インドのバラナシの路地で、神様の乗り物(ウシ)のウンコを踏んだときもそうだった。ベトナムで拾った24㎝くらいのサイズのビーサン(普段は28㎝)を履いていたかいもあって、ねっとりとした感覚が生足をサーっと駆け上がったが、「さっき食べたサモーサは、いい油を使えば絶品なんだけどなー」というような顔でごまかした。サモーサとチャイのタッグは秀逸だ。
タイにあるスコータイの遺跡群でウンコをもらしたときも、隣で泳ぐ子供たちと同じようなに無邪気な顔で、池に飛びこんでやりすごした。「さっきまでの苦悶の顔だって? いやいや、泳ごうか泳ぐまいか迷っていただけだよ。だって泳いでいるのは子供ばかりだからさー」
話がそれた。いや、そらした。
そのSPは、舐めるように僕の全身を見ると、ひと言「のん」といった。人のことを舐めるように見ておきながら、その言い草はなんだ! と思ったけど、日本人として醜態を晒すのはよくないので潔く引っ込んだ、というか押し出された。
落胆する間もなく、「KRIS VAN ASSCHE」のステージ会場からは、お洒落な音楽が流れてきた。

◎パリコレは誰でも見られる!?

2008年の9月も終わりかけた頃、僕はオーストリアのウィーンにいた。そのとき、ウィーン応用美術大学に通う友人の言葉に胸がを躍らせていた。
「パリコレは誰でも見られる!」
彼がどこかからか仕入れてきた話はこうだ。
《Paris Cllection(以下パリコレ)の会場に行き、“いかにも”な格好をして、「僕は川久保玲さんの甥っ子のハトコだけど、何か文句でもおあり?」という態度で臨めば、インビテーション(招待状)がなくてもパリコレが見られる!》
さらにさらに、《客席がまばらなのを嫌がるブランド側は、開演ギリギリになると対策を講じてくる。その一つとして、“アジア人”がある。アジア人だったら、ワケがわからない人がいても、(白人からしてみれば)顔の区別がつかないから問題はない》というのだ。“もっともらしい”話だ。
そんなわけで、友人に“もっともらしい”服を借りて、パリを訪れることにした。

まずはお手並み拝見と、日本ではけっこう人気があるけれど、パリではイマイチぱっとしない(失礼!)KRIS VAN ASSCHEの会場へと向かう。
ちなみに、パリコレは東京ガールズコレクションのようなたくさんのブランドが一堂に会するものではない。それぞれブランド毎に会場は異なり、あるブランドはこ洒落たマンションで行い、あるブランドは路上で行い、あるブランドは倉庫で行う。パリという街で行われる学園祭みたいなものである。

◎神秘性とメジャー路線をバランスよく、ね

KRIS VAN ASSCHEの会場へ着くと、さきほどのようなうわさを聞きつけたのか、アジア人(おそらく日本人)が15名ほどいた。文化服装大学院あたりにいそうな、奇抜なのにどこか画一的な“もっともらしい”格好をした輩ばかりだ。
さらっとお洒落を着こなす白人たちやバイヤーらしきアジア人たちが次々に会場入りをする中、いよいよ開演まで残り5分となった。

突然、いかにもSPというようなパリっとしたスーツを着こなす2人組の大男が入り口脇で何事かを呟いた。フランス語がわからない僕は「?」という感じであったが、SPのまわりには一気に人だかりができた。なるほど、募集開始というわけか。僕も急いで人だかりへ続く。
すぐさまSPによる、「選別」が開始された。SPの目に適った輩は、彼らの気持ちが変わってしまう前にと、すぐさま会場へ駆け出す。あえなく不採用となった輩は、有無を言わさず追い返された。ある身長145㎝くらいの女の子は青山のコムデギャルソンにいるスタッフのような服装と前髪パッツンおかっぱ頭で挑んでいたが、見事に採用された。
いよいよ僕の番。実は、この時のためにセリフを用意してきた。
「I’am illegitimate child of Yohji Yamamoto and Rei Kawakubo(僕はだね、ヨージとカワクボの隠し子なんだよ)」
完璧だ。深く追求してはならない神秘性とメジャー路線をうまく兼ね備えている。まさにオビワンケノービのような隙のなさ。
そのセリフを何度も、頭の中でリハーサルをしていると、「のん」という乾いた言葉が聞こえてきて、我に返った。(あれ、それ僕のこと?)
「のん?」と聞くと、「うぃ」と返ってきた。いやでも、まって、昨晩練習したセリフくらいせめて言わせてと、粘ろうとしたが、呆気なく群衆に押し出されてしまった。
落胆する間もなく、ステージ会場からオープニングの音楽が流れてきた。

◎パリコレHACKS!! 試行錯誤の上で…
その日の夕暮れ、カフェーで何がいけなかったのかを考えた。もしや、日本人離れした、この色黒さか?(インドやらタイやら中東やらを半年もふらふらしていたので、僕の肌はクメール人のように浅黒かった)いやいや、即席のこのファッションか?(借りたスラックスはあきらかにサイズが合っていなかった)あるいは、メガネがいけなかったのかもしれない。(メガネがないとよく見えない!)
とにかく、僕は僕なりに反省をし、翌日に備えた。友人らも意味深な顔で、カプチーノを飲んでいた。きっと頭の中でその日の反省をしていたのだろう。
翌日。今度は人気ブランドのMartin Margiela(マルタン・マルジェラ)だ。一筋縄ではいかない、はずだ! 先日の反省を踏まえ、スラックスは“あえて”腰パン履きをしている風にし、どでかいサングラスをつけた。デカサンはメガネを覆い隠す上に、浅黒い肌の露出も最小限にとどめてくれる救世主、いわば共和国側のアナキンだった!

◎知らぬ間に用意されていた最強のウェポン

腰パンにデカサンは、熟考を重ねた上での選択だったが、この日のマルジェラへの挑戦は実にあっけく終わる。友人の後について、SPの前につくと、僕の友人がひと言。
「僕ら、ウィーンでヴェロニク先生(Veronique Branquinho)に教わっている生徒なんだけどさ…」すると、いとも簡単に入場を許可されるではないですか! なにそのウェポン、デススター並みじゃありませんか!

「え、え、で、でも僕は生徒じゃないけどいいの?」
土壇場で真面目な日本人としての国民性が出て、僕は後退りした、なんてことはない。小躍りしそうな気持ちを一生懸命抑えて、「まあ当然っしょ」という顔をして会場入りをはたした。
コレクション自体は、マルジェラ20周年記念だったらしく豪華で華やかで素晴らしかったように見えた。
友人2人は、「ラフシモンズがいる」だとか「あの人は●●の人だ」だとか「ちょっとそのチョイスはないだろう」だとかいっていたけど、僕にはよくわからなかった。
ラフシモンズは、ジーパンをめちゃめちゃかっこ良く履きこなすただのオッサンにしか見えなかったし、モデルが着る服の素材の使い方の良さとかまったくわからなかったけれど、日本に帰国後、僕はたくさんの人に「おれ、パリコレ見てきてさー」と自慢をしている。
「すごーい! なんでー、どうして見れたのー?」とよく聞かれるので、いつも「カワクボの友人だとはったりをかましたら入れてくれた」といっているけれど、実情はこんな感じです。ウソついてスミマセン…。

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