2011年5月20日金曜日

ノロノロ運転、オロオロ地獄

●ノロノロ運転、オロオロ地獄

バスはゆっくりゆっくりゆっくり進んだ。
タイ北部の街メーサイと国境を挟むビルマ(ミャンマー)側の街タチレクから、目的地であるチャイントンまでの距離はおよそ150キロの道のり。
山間の未舗装の道で、使い古されたバスが唸りをあげて走る。その仰々しい音に反して時速は20キロといったところ。それでもスピードを出して、崖に転落されるよりずっとマシだと、自分を納得させバスの中でジッとこらえた。
続くのはひたすらカーブで、見えるのは非風光明媚な荒涼としたホコリ臭い山々のみ。5時間ほど経つと、ビルマ人かタイ人と思しき乗客たちが一斉にオロオロと吐き出した。オロオロする子供の背中をさすっていた親もつられてオロオロ。オロオロしながらも、子の背をさするのはさすが母は強し。いや、オロオロしているから強くはないなー、もうわけわからん。床を優雅に流れる嘔吐物のせいで前の席のお坊さんもオロオロ。どうやら日頃の苦行ではオロオロに勝てなかったようだ。
そもそも問題は出発して30分ほどのときあった、と僕は見ている。そこは未だ舗装された道だった。バス内には何となく小学生の遠足のような雰囲気があって、彼らは持ち込んだお菓子やらスープやらをばくばくとがっつり食っていたのである、そりゃ吐きますよ。
●賊の襲撃

「ぱーーーん」という銃声音の後、バスはとまってしまった。“ゲロまみれの30分”からおよそ1時間が経ち、事態がようやく収束に向かっていたときのことだった。ここは民主主義国家のビルマではなく、実際にはミャンマーという軍事国家だ。政情が不安定であるという予備知識を持つ僕は、完全に賊の襲撃だと思い、身を屈め、日本人だとバレないように顔を隠していると、乗客たちはみな順番に降りていく。ここで降ろされ、身ぐるみはがされるのかと僕もバスを降りる。と、必死にタイヤのパンクを直す汗まみれの運転手の姿があった。そう、ただのパンクだったのである。30分ほどでタイヤの応急措置は終わったけど、スペアタイヤが減ってしまったバスはさらなるノロノロ運転になった。およそ10時間ほどでようやくチャイントンに到着した。
●本題はここから

今回のはなしの本筋はバスでの顛末ではない。(覚えている人は一人すらいないかと思うが)2009年8月の「ぱる通信」にも書いた、このチャイントンの町を題材に選んだのは、停電のことが書きたいと思ったからである。
僕はチャイントンで泊まった宿で、次の日のトレッキングの予約をした。アテンドしてくれるそのおじさんは、なんと「早朝5時半に迎えにくる」と言う。「いくら何でもそれは早すぎるのではないか」と言っても頑として譲らない。「そんなにここから遠いところに行くのか」と聞くと、「いやそんなに遠くない」という。堂々巡りのやりとりが続くので、僕は諦め、次の日に備えて早々に寝ることに決め、部屋で読書をしていると、突然明かりがつかなくなった。
●停電発生! さてどうする?

停電である。宿の主人に聞くと、いつものことらしい。ちょっと待っててと言うと彼女は、敷地内にある奥の建物に行ってしまった。「やれやれ」と思って所在なげに待っていると、けたたましいエンジン音と共に、宿内の明かりが灯った。自家発電装置があるのである。
これで読書でもして過ごせると思いきや、戻ってきた彼女は、「自家発電は応急的なものだから、扇風機以外は絶対に使わないでね」とだけ残して部屋に籠ってしまた。そうか、夜は停電があるから朝早く行動するんだな、それはそれで合理的じゃないか、と少し感心してしまった。「郷にいては郷に従え」である。僕も予定通り早々に寝ることにした。日本も少しは見習うべきだとすら思える。
が、いかんせんこの自家発電の音が馬鹿でかくて眠れない。いやほんと、もう、工事現場の真横で寝るようなものである。2時間くらいしても、ぜんっぜん眠れないので、もう一度宿のおばさんのところへ行って消してもらうようにお願いすることにした。
部屋をノックし、しばらく待っていると、ガタッとドアが少しだけ開いて不機嫌そうなおばさんの顔が出てきたので事情を説明する。けれど、僕の目にはしっかりと映ってしまったのである。ドアのすき間の向こうで、電源がついているテレビの姿が。逆上する気にもなれず、「なんでもありません」とだけ告げて部屋に戻り、僕は濡らしたティッシュを耳につめて、寝ることにした。やがて、燃料が尽きたのか、自家発電は2時間ほどでパタリととまった。
静けさに包まれたにもかかわらず、僕の心はざわついてなかなか寝付けなかった。
やっぱり停電なんてないほうがいいに決まっている。“慣れ”に甘えてしまう人間は、停電しようがしまいが、甘えてしまうのだから。

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