2011年5月20日金曜日

干渉に関する考察

そう、あれはダハブにいた時のことだった。その少女たちは僕に蔑むような目線を送ってきた。彼女たちは一様に何かを言ってきたが、アラビア語なのでまったく理解できなかった。
僕は戸惑いを感じた。彼女たちの立場からだと、僕の行動に共感を覚えてもいいはずなのだ。にもかかわらず、馬鹿にしたかのような笑いは途絶えることがなかった。

◆婚活女子はダハブに行くとよいと思う
ダハブの街はエジプトにある。首都カイロからおよそ8時間で、モーセの十戒で有名なシナイ山のあるシナイ半島の東南部に位置する。バックパッカーにはとても有名な場所である。その理由は明白で、「一泊200円の安い宿」、「1000円払えばおつりが返ってくる、ロケーション最高のうまいレストラン(ビール付)」、「アカバ湾(紅海)という世界でも有数のダイビングスポットに面していて、格安で潜ることができる」、そして、ここには「恋」がある。
(※一般的な旅のルートとして、エジプトから北上し、ヨルダン、シリア、イスラエル、レバノンを通り、トルコに抜けるというものがある。一人旅の女の子は、「あこがれの中東」と嬉々としてカイロに入国するも、すぐさまこの国の男たちの執拗な誘いにうんざりするようだ。彼女たちはエジプト観光のハイライトである内陸部では気丈に振る舞うも、エジプト最後の地ダハブまでくるといささか緊張の糸が切れるようである。ダハブの居心地の良い空気感に心をほだされると、「あぁ、この先は男性と旅したほうがラクだなー」と無意識のうちにパートナーを探し始める。さらに、そんな噂を聞きつけた男もわんさか寄ってくる。ダハブが恋の街と呼ばれる理由がこれで、婚活だとか恋活だとか言っている人は、ぜひダハブに行くと良い。下手なセラピーよりよほど恋に効くはずだ)

そんな旅情あふれるダハブだが、この街に到着してすぐにあることに気づいた。泊まる宿から30mほどのところにある建物がボロボロに崩れている。2年前に20人以上が犠牲となった爆破テロがあったらしいのだ。

◆インドからエジプトへ飛んだ100の理由
ユーラシア大陸を横断中の僕がインドから直接エジプトに飛んだ理由はだいたい100個くらいあって、1つ目は、僕がインドのデリーにいる時に、テロの予告があったことにある。よりにもよって、僕が泊まるメインバザールという地域が標的にされたらしく、身体検査をしないと宿に戻れないような状況だった。自分の中で、インドの次に訪れる予定だったパキスタンへの恐れが少しだけあって、それがこの出来事により一気に膨らんだ。2つ目は、イラン政府にある。パキスタンを抜けた後は、イランを通り、中央アジアへ行くつもりだった。しかし、いざパキスタンへと足を踏み出そうとした数週間前に、イランが軍事演習と称しミサイルを発射。イスラエルへの威嚇のためだと報道され、一気に緊張感が高まったように感じた。
パスポートに貼られたパキスタンのビザをぼんやりと眺め、泣く泣く心の中でそれを破いた。3つ目から100個目までの理由は語るほどのことではない。要は「めんどくさかった」のと、「ビビった」ので98%を占める。

エジプトへ来ると平和で、それはもう至極安心したものだ。
世間で言われているような、中東情報はあてにならないのかもしれないなと感じ始めていたころ、先のダハブの爆破テロの現場に出合ったのである。もう心の動きは二転三転どころか、もみくちゃである。何が正しい情報で、何が正しくないのか全くわからず、混乱状態である。これは良くない兆候で、人間は混乱に慣れてしまうと思考が麻痺してしまうらしい。あの香田証生さんも、僕が訪れる1カ月前のイスラエルでゴム銃にあたり失明した名もなき若者も、みんな色んな出来事が一転二転三転四転し、混乱に慣れてしまったのだろう。1つだけ正しいのは、平和にも危険にも頭に「絶対」がつくことはないことだ。
さて、思考停止の状態で、僕はダハブの天国のような幸せな日々を送る。朝起きて、シュノーケリングをし、昼は海を眺めながらアクセサリーを作り、ときにダイビングのライセンスを取得し、夜はうまい飯とビールを飲み、夜中には麻雀に興じた。(ダハブにはなぜか麻雀があった)
平和な日々は続くかのように思えた。いや、実際続いていたし、僕がエジプトにいる間には何も問題は起こらなかった。でも、僕の心の平和は徐々に崩れていた。この平和は真の平和ではないと。

◆僕はエジプトの少女に干渉すべきか
先にも言ったが、ダハブには雰囲気の良いレストランが海沿いに並んでいて、僕は頻繁に何時間もそこで寛いだ。クッションに寄りかかり、たまに気が向けば、目の前に広がる珊瑚礁へ飛び込む。
そんなことをしていると、いつも8歳前後の女の子たちが10人ほどで現れた。アクセサリーを売りにくるのだ。レストランにいると、昼だろうと夜だろうと必ず現れる彼女たち。安易かも知れないが、学校にいっているのだろうかと心配してしまう。しかし、片言の英語を身につけ、立派に物売りとして頑張っている彼女たちの姿を見ていると、あるいは学校の教育は必要ないのかもしれないと感じる。
でも、平和の綻びは教育から生まれるとよく言われることで、どちらが正しいのか断定できない。ここでも僕は困惑してしまう。
よし、ここはひとつ、僕もアクセサリーを売ってみようと決意。彼女たちの目線に立てば何かわかるかもしれない。翌日、旅の間に作ってきた30個ほどのアクセサリーを携えて、雰囲気のよいレストランのすぐ横で露店売りをさせてもらうことにした。インドで買った妖しげな布を敷き、その上にアクセサリーを並べていく。物珍しそうに物色する幾人かの西洋人の相手をしながら、1時間ほどがたった。するとアクセサリー売りの女の子たちが、僕を見つけ駆け寄ってくる。
一様にみな蔑むような目線を送ってきて、僕のアクセサリーを手に取っては馬鹿にしてくる。冷笑が絶えない。あー嫌だな、やっぱり教育は必要なんじゃないかなと思っていると、一人の女の子が優しい声で僕に、
「これはいくらですか?」
と聞いてきた。あれ、と思い彼女と片言の英語で話す。「1ポンドだよ」と言うと、「?」という顔をしてくる。1ポンドは、彼女たちのものと同じ値段だ。彼女は「1ポンドも持っていないから買えない」と言う。
それならばと、「じゃあ、こうしよう。君の持っているそのアクセサリーと僕のアクセサリーを交換する、それでどうかな?」と提案すると、嬉しそうな顔でOKサインが出た。彼女は、僕のアクセサリーを受け取ると嬉しそうに走り去った。
彼女の後について、他の子たちもみな行ってしまった。僕は何となく手持ち無沙汰になってしまい、店仕舞いした。教育がどうだとかテロがどうだとか言う前に、いま目の前に笑顔を生み出すことが、大切なのではないかと悟った。
…かのように思えたが、その夜いつもと同じように、レストランでディナーを食べていると、アクセサリー売りの少女たちがやってきた。隣の西洋人が売り込みにあっているので、ぼんやり眺めていると、先ほどの少女が僕の売ったアクセサリーを二倍の値段で売っていた。商魂たくましい限りである。
ようやくわかった。何事もある程度はほうっておいても、それなりに上手くやるものだ。だから下手な口出しは余計な混乱を生み出すだけだと思う。中東の政治情勢も同じように、よそ者は干渉すべきではないのかもしれない。たまには、まじめなことを書いてみた。

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