2011年10月7日金曜日

旅の初日は、アイスクリーム事件

◯“先進国”シンガポール

安宿がひしめくらしいリトルインディアに行けば何とかなる、僕はそう思って日本を発った。

2008年4月1日の、200日に及ぶユーラシア大陸横断の旅への初日のこと。
海外へのフライトが往々にしてそうであるように、僕が乗った飛行機も定刻通りとはいかなかった。空港到着は、3時間遅れの深夜の2時前。そうは言っても、先進国であるシンガポール。空港を出れば、市内へ向かう交通機関は整っているはず…。
そう思い、僕は空港の外に出た。すると南国特有のモワッとした空気に包まれた。あ〜これだ。この感じがたまらない。体は少し気怠いけど、心がメルト状態になって、セロトニンが分泌されていくのがわかる。
ANAの往復チケットでシンガポールに来た。始めから、帰りのチケットは捨てるつもりだったが、この空気に触れて改めて、旅の高揚感が増してくる。
帰りの航空券を破り捨てることにした。51070円の航空券だったので、その半分の25535円を捨てたことになる。それだけの経験を得るのだと僕は鼻息が荒くなった。

市内へ向かうバスは既になかった。仕方なくタクシーに乗り込むことにした。

◯安宿ひしめくはずのリトルインディア

タクシーから地下鉄のlittle india駅が見えると、僕はタクシーの運ちゃんにココで降ろしてくれればいいと言って、タクシーを降りた。さすが、大都会シンガポールのタクシーである、ボッタクリとは無縁だった。

直感的に安宿は駅から近くにあると思っていた。容易に見つかるだろうと、浅い考えの元、周囲100メートルを探すも、宿はなかなか姿を見せない。すでに夜中の3時をまわっていることもあり、町は静けさに包まれていた。
ちょっと焦ってきた所に、優しそうな浅黒いインド系シンガポール人が通りかかった。

◯親切なお兄さん!?

「すいません、このあたりで安い宿を探しているんだけれど、知りませんか?」
空港で手に入れておいた、簡単なシンガポールの地図を片手に、笑顔で声を掛ける。
彼は聞こえているのか聞こえていないのか、あまり反応がない。僕の英語が悪いのか?
「あの、ホテルってこのへんにありませんか?」
と言い方を変えてみる。彼はわずかながら、微笑みを見せた。あーよかった、わかってくれたんだ。僕はホッとして彼の第一声を待った。
が、いっこうに教えてくれない。すると彼は、おもむろに僕の手を取り、少し離れた所にある街灯を指差した。
「なるほど、あの灯りの下で地図を見せろというんですね」
そう言いながら、僕は彼と手を繋ぎながら、歩いていく。彼の手は柔らかかったけど、すこしだけ汗をかいていた。でも彼の微笑みを見たら安心できた。「タクシーでもボラなかったんだ、シンガポールは絶対に大丈夫だ」そう思っていた。

街灯の下へ着き、僕が地図を開いて安宿の場所を再度尋ねようとすると、なぜか彼は、もぞもぞしだす。そして路駐してある車の影に、引っ張られた。
おかしいなと思いながらも、彼から手を放し、地図を広げて、「この辺りだと思うんですけど…」と言いながら地図から目を上げてみると、彼のイチモツがぶら下がっていた。
左手でズボンを下げ、右手でモノを支え、僕に微笑みかけている。そんな彼の姿は、あまりにも自然だったので、僕は一瞬何が起こったのかわからなかった。2、3秒、僕の体は硬直してしまった。

◯確かに“アイスクリーム”は食べたいけれど…

お互いが硬直したまま、数秒がすぎた。彼は彼で、その状態から動くことなく、ジッと待っていた。そしてようやく重い口を開いた。
「アイスクリーム、プリーズ」
おぉぉ、海外は、お口でスルことをアイスクリームで言うのか! 勉強になるなー! 何てことを冷静に考えられるわけもなく(そもそもこんなことがあったからhttp://unendlicher-tanz.blogspot.com/2010/09/blog-post.html サックだと知っている)うわーーーってなる。
うわーーーーってなって、僕の体は硬直状態に。
彼は踏ん切りがついたのか、早く舐めろとばかりに、プルプルと振ってくる。
気付くと、彼の左手が僕の腕をつかむ間際だった。
やばい! 逃げろ。
僕は自分の足に、命令を送った。だが、僕の足はなかなか言うことを聞いてくれない。
中学2年生の時に初めて女の子に好きだと伝えるときと同じくらい、「思い切り」が必要だった。あのとき、僕は告白するのに、10分ほどかかった。結局気の利いたことは言えず、「付き合って下さい」とだけしか言えなかった。
この時は10分なんて猶予はない。今すぐ動かなければならないのだ。
「動け、動くんだ足!」心の中で叫び続ける。
するとたまたま通りかかった車のヘッドライトが僕を照らした。それが功を奏したのか、足が動くようになった。
そして300メートルほどの全力疾走。
一度だけ振り返ると彼はバイオハザードのゾンビのように、ゆっくりと歩いて僕の方に向かってきていた。
その姿を見て寒気、いや悪寒が走った。
僕はそれ以上振り返ることはなく走り続けた。

◯初めからそうすればよかった

走っていると、Hotel 81 Selegieという看板と灯りが見えたので駆け込む。そんな僕を見て、驚いたフロントの女の子が、「どうしたの?」と聞いてきた。
僕は何だか急に切なくなってきた。
僕はどうしたのだろうか。こんなところまで来て何がしたいんだろうか。旅の初日からそんなモヤモヤ病にかかってしまった。
もう一度、「どうしたの?」と聞いてくる。
僕はハッと我に帰る。
そして、「えっと、この辺りにバックパッカーが泊まるような安宿はありますか?」と聞くとあっちのほうよと、シングリッシュで親切に教えてくれた。

あっちは、路地の入り組んだところだった。またしても見つからない。
もう、やだなーと思っているとタクシーが通りかかる。呼び止めて、安宿はどこかと聞くと隣の路地にあるよと教えられ、ようやくCheckers Inn Backpackers Hostelという宿に着く。
しかしその宿は、フロントまでバックパッカーたちで埋まるほどの混み具合だった。何とかして宿のスタッフを呼び出して交渉するも、これ以上は泊まられないとむげに断られてしまう。
泣きそうになった。
すがりつくような思いで「僕は、じゃあどうしたらいいですか? 教えて下さい」と聞くと、近くの宿を紹介された。「確かそっちにもドミトリーがあったから安いはず」と。
教えられたほうに行くと、すぐにHotel 81 Dicksonという安宿は見つかった。部屋も空いていた。一泊160シンガポールドルくらいだったと記憶する。

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