2011年10月20日木曜日

「世界遺産」の町、マラッカへ


●マレー鉄道は快適だった

マラッカへ行くために降り立ったのはTampinという駅。
ここからバスでマラッカに向かうつもりだった。
Tampin Railway Stationは質素な造りで、周囲にお店らしいお店もレストランだとかホテルといった類いの建物も見当たらない。肝心のバスはなく、数台のタクシーのみがとまっていた。



そのタクシーも数少ないTampinで降りた乗客が乗り込み、残り1台となってしまった。
慌てた僕はおろしていたバックパックを担ぎ、タクシーへと向かった。が、最後の1台のタクシーも、マレー人の女の子が先に乗り込んでしまった…。

町の方向さえわかれば何とかなる、と思い込んでいる僕はこの旅のためにコンパスを用意してきた。
「困ったら、歩けば何とかなる。コンパスに従って南西に向かえばいいだけのことだ」と一人ほくそ笑む。タクシーを諦めることにした。
むしろ、「これこそ旅だ、こんな状況こそを楽しまなければ意味がない」と思い、気分が高揚してくる。旅に出て4日目にして旅の玄人にでもなったかのような気持ちだった。そんなふうに悦に入りながら、南西方向にあるマラッカまで歩み始めたら、最後のタクシーに乗り込んだ女の子に声をかけられた。

●女の子に声を掛けられるなんて久しぶりだ

「あなたどこへいくの?」
振り返ると、タクシーの窓を開けたマレー系の女の子が英語で尋ねてきた。
マラッカに行きたいことを伝えると、女の子はタクシーを降りて僕のカバンを奪い取った。自分の置かれている状況がよくつかめなかった。
女の子は僕のカバンを荷台に積み込んで、「ハリーアプ!」と少し不機嫌そうに僕を睨んだ。
なんかイケナイことしましたっけ?? ハテナ顔でいると、女の子は僕をタクシーの中へ押し込んだ。
「私とあなた、1RM(リンギット)ずつよ。さぁ運転手さん出して!」(※1RM=30円弱)
訳もわからぬまま、タクシーは駅を離れていく。

●コンパスあれば憂いなし

先ほどまで不機嫌そうだった女の子の表情は幾分和らいでいた。不機嫌だったと言うか、単純に急いでいただけのようだ。
僕は少し安心して座り直した、意外と快適なマレーシアのタクシーの椅子に感心して。案外ラッキーだったのかもしれない。タクシーなのに1RMでマラッカまで行けるのだから、かなり安いだろう。さすがローカルのひとが交渉すると違うもんだなぁ。
とは言え、その女の子は僕に惚れこんで声を掛けてきたわけではないことは、一目瞭然だったので、冷静沈着な僕はさっそくコンパスで、きちんとマラッカに向かっているかを確認することにした。
(マラッカはここから南西だから、ええっと、ええっと、こっちのほうに行くべきなんだけど、どうかなぁ、あれ、いや、ん、待てよ? って、まるっきり反対方向じゃん!)
すぐさま、僕はタクシーのおじさんに降ろしてくれと伝えるよう、女の子に通訳を依頼した。
しかし、「ノーウェイ!」と、一蹴される。えぇ〜、それはこっちのセリフだよ!
コンパスを見せ、マラッカはサウスウエストだと主張するも一向に取り合ってくれない。
「このコンパスは日本製だよ? 正しいんだよ? きみわかってるかい?」
女の子は黙って頷くだけだった。運転手と女の子がグル…? まさかの事態が頭をよぎる。

●恋の種は常に蒔かれている

着いたのはバスターミナルだった。
女の子は急いでいるふうで、そそくさとタクシーを降り、近くにいた女性に声を掛けて自分のバスへ駆け込んでいった。
その女性はおもむろに近づいてきて「あのバスよ」とマラッカ行きのバスを教えてくれた。どうやらさっきの女の子が説明してくれたらしい。
「お礼を言わなきゃ!」
そう思ったときにはとき既に遅し。彼女の乗ったバスは轟音を鳴らしてバスターミナルを出て行ってしまった。
彼女に悪いことをしたな…人の優しさよりもコンパスを信じていた自分が恥ずかしくもあった。
あるいはあんなに親切な女の子だったら、マラッカは後回しにして、彼女の住む町だか村までついていってもよかったかもしれないなぁと思考は一気に180度変わる。人間とはゲンキンなものだ。人間というか僕がということだけど…。
あまりにコンパスに頼るのはやめよう。このとき、そう決意して僕はマラッカ行きのバスの乗り込んだ。

●ここは、ほんとうに世界遺産なのだろうか…

バスは小学校の下校時間と重なったのか小学生で超満員。次から次へと小学生が乗り込んでは降りていく。

「うししし、ばいばい! またね!」
「うん、またあした!」
くり返される、笑顔で溢れたさようなら。日本でも、中国でも、ヨーロッパでも、どこででも見られた小学生たちの騒がしくも微笑ましい情景。

そんな彼らを眺めていると、あっという間に1時間半が経過。日が暮れ始め、バスが静けさに包まれたころ、マラッカに着いた。

僕にとってマラッカといえば、マラッカ海峡が一番に頭に浮かぶ。スエズ運河やパナマ運河と並んで世界でも指折りの舟の交通の要所であり、その歴史は大航海時代にも遡る。憂愁という言葉が似合う町をイメージしていたのだが、いまいちぴんと来ない。
マラッカは至る所で工事をしていた。歴史の町としての観光地を目指すと標榜するが、どう見ても歴史の浅い綺麗で整然とした都市へと向かっているようにしか見えなかったせいであろう。
チャイナタウンや旧市街にそれなりの歴史的な雰囲気が見受けられたが、テーマパークのような乾いたような空気に包まれ、ここが「マラッカ海峡の歴史的都市群」として世界遺産(文化遺産)に登録されているとは思えなかった。
よほど、Tampinからマラッカに向かうバスのほうが、僕にとっては興味深いものであった。
「旅の醍醐味は人びとの生活にふれることであるのかもしれない」
そんなことをダニのいる安宿の8人部屋のドミトリーで考えた。部屋は僕一人だった。

翌日の夕方、一通りマラッカの町を歩いた僕は夕日の沈むマラッカ海峡を眺めるためにセントポールの丘に登っていた。
頂上はまだ先だった。ふと、そろそろ見えるかなと後ろを振り返ると、マラッカ海峡が遠くに見えた。マラッカ海峡には数隻の大きな舟があるだけで、他におもしろいものは何もなかった。夕日も濁った空と雲に隠れて、美しくも何ともなかった。
頂上まで登るのはやめにした(昼に一度来ているし…)。
3-4日は滞在するつもりだったマラッカだった(お気に入りの定食屋も見つけていた)が、そんな空を見ていたら、いても立ってもいられず、その日のうちに、クアラルンプールに向かうことにした。

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