2011年10月25日火曜日

クアラルンプールはそこそこに、僕はペナン島へやってきた。


●その道の先にあるもの

この坂を登ったら折り返そう。
この曲がり道の先を見たら引き返そう。
次の集落を見学したら帰ろう。

同じようなことを何度も思った。けど僕の足は自転車のペダルを踏み続けた。


坂を登った先には下り坂があった。アドレナリンがあふれ出てくる、その勢いをそのままに、自らの力で登った分の坂を今度は一気に駆け下りる。
坂を下り終えると、我に返った。そして来た道を振り返る。同じ道を、それも坂道を、引き返したいとは思えなかった。

曲がり道の先には、さらなる曲がり道があった。曲がり道があると、その先の風景は見えない。先も見えないが後ろも見えない。一度すぎた曲がり道。振り返ると、自分がいま通ったばかりの道は当然見えなくなっていた。でも、僕はその先(後ろ)の風景をもう知っている。知っている道よりも、知らない道のほうが魅力的に感じるのは当たり前の話だった。曲がり道を引き返す気にはなれなかった。

●ペナン島の大きさ、フェリンギビーチで待つ女の子

僕は頭の中でペナン島のサイズを推し量る。世界地図の中でのペナン島、いや、クアラルンプールのバスターミナルでもらったマレーシア全土の地図にあるそれのほうが想像しやすいか。前年に北海道をバイクで一周したときに出会ったチャリダーの一人が言っていたことを思い出す。
「だいたい、一日で80kmから100kmくらいの移動です。それ以上だと毎日走るのが辛くなります」
なるほど、100kmくらいだったら帰れるというわけか、それなら(地図を想像するに)行けそうだなと思っていたところ、緑の看板でジョージタウンと表示されていた。距離は書いていないが、この道を行けば、僕が泊まっているジョージタウンの安宿に帰れるのだ。
ひと際急な坂にさしかかった。町中で借りた古ぼけた自転車はタイヤの空気が甘くてなかなか前に進まない。汗だくになって、坂の頂上についたときには決意が固まっていた。このままペナン島を一周したらいいじゃないか、と。

本当はジョージタウンから10キロあまりにあるフェリンギビーチを訪れるつもりで自転車を借りた。綺麗な海のあるリゾート、現地のビーチボーイたちが観光でやってきた女の子を口説く情景が頭に浮かぶ。そんな彼らに嫌気がさした女の子とお話でも出来たら…、そんな空想を頭に描いて僕はフェリンギビーチに到着した。風が心地よい。朝一でジョージタウンを出てよかった、あのヤシ林の向こうに、楽園があるのだなと、自転車を電柱にくくりつけ、ビーチへと足を向ける。

ビーチはただただ汚かった。そこにはリゾートという雰囲気は皆無だった。
僕に“助けを求めるはず”の女の子の姿はなかった。だからというわけではない(はずだ)が、厭世観というのか、嫌悪感というのか、もやもやした気持ちにとらわれた。
早々にビーチを離れることにした。

ジョージタウンに戻る気にはなれなかった。なにせまだ正午にもなっていない。
そこで島の奥部である西へ向かうことにしたのだった。

●はたの食堂には食事のサービスはなかった

チャリダーと出会ったその宿は紋別町にあった。急な雨が降ってきた夕暮れ、9月だというのにオホーツク海から吹き込む寒風で、かなりしんどかった。そんなとき目に飛び込んできたのが、その宿の看板だった。
そこには、「ライダー&チャリダー共和国」とあった。ライダーハウスという、バイクか自転車(あるいは徒歩)で旅をする人のための宿である。
助かったと胸を撫で下ろしたのだが、実はその宿がかなり曰く付きの宿だった。
宿主のおじちゃんは畑野さんといって(そのまんまです)、人はいいのだが、まぁよく飲まされた。さらに語らされた。
「好きな言葉をこの紙に書いて、自己紹介とともに夢を語りなさい」と紙とペンを渡されるのだ。そんなの無理だよ…と思っても、その日泊まっていた10人ほどの全員が強制でやらされた。しかも、制限時間が決まっている。「3分以上」という…。
元来、人前で語ることが苦手な僕なので、これはかなりキツかった。さらにお酒もたいして飲めないのにとにかくどんどん勧められる。しかもその酒というのが、焼酎の牛乳割りのみである。畑野のおじちゃん曰く、これが一番胃に優しいのだと得意げに話していた。健康を気にするくらいだったら飲まなければいいのに…。
だが、今日もはたの食堂はあるらしい(ネットで調べたところ)ので、その説もあながち間違いではないのかもしれない。

●讃えられたチャリダーは彼女たちの期待に応えることが出来なかった

話が逸れてしまった。

日が照りつけ、気温が最高に達した頃、僕はペナン島の最南端に着いた。ここから東海岸を北上すればジョージタウンだった。そこからの道は本当に辛くて、とてつもなく長く感じられた。熱さと渇き、そして尻の傷み(サドルがやけに固かった)で、ろくに前を見ずに、ただひたすらにペダルを踏んだ。車の交通量も多く、自転車なんて僕以外誰もいなかった。いつのまにか、自動車専用道路のようなところに入ってしまい、周囲の車が時速100キロくらい出している中、ぎこぎこと進んだ。けっこう死ぬ思いだった、いやほんとうに、あっさり書くけれどさ。

日も傾きかけた頃、見覚えのあるジョージタウンの町が見えてきた。ただ、そこからさらに僕の泊まっているLove Lane Innという宿を見つけ出さねばならなかった。
何度も同じ道を行ったり来たりしながら、ようやく宿に戻れたのは完全に日が落ちてからだった。
やっとのことで、自転車を宿の壁にくくりつけて、テラスに座って休むことができた。

頭がぼぉっとして、頭が働かない。何でこんなことになったのだろう…という気持ちに苛まれた。

「そうだ、ビーチにギャルがいなかったせいだ」と頭の中でフェリングビーチに悪態をつくことにした。頭の中が、悪態でいっぱいになってきたとき、ギャルの声が遠くから聞こえてきた。幻聴…?
「なんだ、なんだ、今さらになって呼んだってダメだぜ。おれはもう疲れているから寝る。他の男のところに行きな!」いきがる自分を頭の中で夢想する。

女の子の声は一向に途切れない。どうやら幻聴ではないらしい。宿の主人にもらった水をぐいっと一気に飲んで顔を上げると、そこには本当に数人の女の子がいた。
「おにーさん! こっちきなよ!」
「暇なんでしょう?」
みな、大きな声で僕に話しかけてくる。時折大きな笑い声もする。wan hai hotelと書かれたその宿の入り口にいた娼婦らしい女の子たちは、飽きずにいつまでも僕に声を掛けてくれた。
マレー語がわからない僕は、段々と、なんだかその日のペナン島一周の頑張りを誉められているような気がしてきて嬉しくなり、夢見心地のなか、彼女たちの笑い声をいつまでも聞いていた。

何時間経ったのだろうか。数十分だろうか。ふと、我に返ると彼女たちの姿はなかった。目の前で宿の主人がコクリコクリと眠る姿だけが、変わらずそこにあった。





そして翌日、僕は疲れを取るため、日がな一日宿前のテラスで読書に耽る。そして、事件に遭遇することとなった…。

0 件のコメント: